「ロレックスマラソン」が語るのは何か?ー「痩せた現実」が招いたもの
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この話の元になっている連載記事はおもしろかったですね。
ロレックスに走る人びと(上):日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO79126390R10C22A1TB1000/
注目のコメント
ロレックスを買うために100回も200回も通う「ロレックスマラソン」をしなくてはならないとか、クレジットカードの上限を上げるとか、転売ヤーがもうかってしまうとか。ロレックスはたしかに高品質・高価格・稀少であり、モノ自体はよいのかもしれませんが、それをとりまくこうした状況にはそこはかとない「貧乏くささ」が感じられます。
それって何なのか? を解説した安西さんの記事が秀逸です。
高品質・高価格・稀少・丁寧な職人技という条件をクリアしたからとて必ずしもラグジュアリーではないのです。
脱コンテクストでモノとしてのスペックを追求しすぎた結果がこのどうしようもない「貧乏くささ」を招いているという指摘。
じゃあストーリーで補完すればよいのか? といえばそうでもなく、ストーリーはコンテクストのある部分を切り取っただけの「痩せた現実」でしかない、と。「痩せた現実」の合理性をつきつめた果てが、転売ヤーの異常性。
「ラグジュアリーはモノとコンテクストの重なり合いで人々から認知される」
「豊饒な要素、つまりはモノの置き方、扱い方、その振る舞いが醸し出す雰囲気に至るまでの要素」「扱う人の人格という魅力」すべてを視野に入れた豊饒な現実があってこそのラグジュアリーであるということ、理解しておきたいものです。考えすぎだと思います。
私はオメガの高級時計を買ったことがありますが、半分は投資目的でした。ところが、中古で買い取ってもらったところ新品の3分の2位の値段でした。
私は知らなかったのですが、中古の方が新品より高いのはロレックスだけだそうです。性能は関係ありません。単に中古の値段が上がると言う理由だけでロレックスが買われているのです。なので新品を買えば、高額で売れるので、投資対象としては悪くありません。
ロレックスの性能が良いのは、外装のステンレスが傷つきにくいという事だけです。
いつ暴落するかわからないので、良い子は手を出さない方がいいです。絵画も同様。値段が不明な世界です。時計好きだしロレックスも良いブランドだと思っていますが、この記事で言われているように「手垢」が付いてしまっているので自分で付けるのはちょっとなぁ、と思ってしまいます(レディースモデルがイマイチなのと女性が付けられるメンズモデルが少ないというのもある)
愛着を持ってつけている人のものは素敵だと思う一方、ニワカの人の着けこなしには若干引いてしまいますね…
これ100%偏見だと自分でもわかってるのですが、不思議です。
数十年前に遡ると、わたしが学生の頃(20世紀末です)にヴィトン、グッチ、プラダ、シャネルなどの”分かりやすい”ブランドが好まれたムーブメントがありました。その後大人になるにつれて「分かりやすいブランドをこれ見よがしに持つのは恥ずかしいことだ」という認識に変わり、いま一周回って「我々も良い歳だし良いものは良いという審美眼も磨かれた(たぶん)のであえてそのようなモノを身に付けてもよかろう」となりつつあります。
ロレックスも、ブームが去った後にこそその真価が見直されるのかもしれません。