2022/1/1

【池田光史】2022年、メディアは「希望」をどう伝えていくか

NewsPicks CXO
あけましておめでとうございます。NewsPicks編集長の池田です。
2021年は、メディアに携わる一人として、考えさせられる1年でした。私たちメディアは、まるで“砂糖”のようなニュースばかりを届けてこなかったか──そんな話にあふれていたからです。
きっかけの一つは、Facebook問題です。
これは、Facebook社の情報フィルタリングがユーザーの中毒性とニュースの偏食をもたらし、米国を中心に批判の大合唱にさらされ、ついには社名変更に追い込まれた、というものでした。
(写真:Jim Wilson/The New York Times)
もっとも、いまも続くそうした批判は、必ずしも的を射ていません。
WIRED創刊編集長のケヴィン・ケリー氏が述べている通り、わたしたちはマクドナルドに野菜や栄養バランスを、決して期待していません。
同じように、広告事業を営むFacebookへの一連の批判は、まるでマクドナルドに対して「野菜を提供していないじゃないか」と非難しているようなものです。
むしろ、Facebookのフィード上には大量の“砂糖”が提供されているということを、私たちはちゃんと“理解”した上で付き合うべきだということでしょう。
これが、一連のFacebook問題の「真の教訓」だった、と私は考えています。
このことについてSmartNews創業者の鈴木健氏は、次のように指摘していました。
ソーシャルネットワークは
強力な武器ですが、
必要な栄養分が全て取れるわけじゃない。

それだけで情報摂取を完結できるような、
全てをバランスよく取れる
「完全食」だと考えてはいけない、
ということでしょう。
このような見解を述べているのは、彼ばかりではありません。
例えばFacebookの古参幹部、アンドリュー・ボズワース氏による、一連のFacebook批判への反論もまた、次のようなものでした。
アルゴリズムというのは、
良くも悪くも人類の欲望を
明らかにしているにすぎない。

これは砂糖、塩、脂の問題と同じだ。
果たしてアフター・フェイスブックのメディアは、どうなるのでしょうか。
情報フィルタリングのテクノロジーはこれからなお一層、ユーザーが自ら選択していくようなものが主流になっていくのでしょう。
先に述べた通り、フィード上の“栄養バランス”について、人々は“理解”した上で付き合いたいと思うはずだからです。
人は、得体の知れないものに対して不安を抱くものです。しかし、それが“砂糖”だとはっきりしてさえいれば、それぞれが自ら考えて、摂取していくことができる。
そのほうが、ずっと健全な未来に思えます。

「希望の歴史」の残酷な真実

そしてもう1つ、思考の糧となったのは、オランダの若手論客、ルトガー・ブレグマン氏の最新作『希望の歴史』でした。
衝撃的な数々のファクトが提供してくれるのは、目の覚めるような新しい現実でした。
その中身は本人へのインタビュー記事でも紹介した通りですが、ここで改めて注目したいのは、彼のメディア論です。
ブレグマン氏もまた同書の中で、『News Diet』の著者ロルフ・ドベリ氏の言葉を引用しながら、こう指摘しています。
心にとってのニュースは、
体にとっての砂糖に等しい。
考えてみれば、過去数十年の間に、極度の貧困、戦争の犠牲者、小児死亡率、犯罪、飢饉、児童労働、自然災害による事故、そして飛行機墜落事故も、軒並み急激に減少しています。
それにもかかわらず、世界中の人々が、「世界は悪くなっている」と考えている。
なぜかといえば、その一因こそがニュースだ、とブレグマン氏は指摘します。それもそのはずで、ニュースになるのは得てして、例外的なものばかりだからです。「ここでは今日も戦争は起きていません」と、メディアが報じることはないわけです。
そして、人々を怖がらせ、驚かせ、クリックさせるようなニュースは、Facebookをはじめとしたフィルターを通じて、ますます降り注ぐようになりました。
一方で、真摯に受け止めるべきなのは、2002年に放送された、英BBCの監獄実験リアリティーショーのことです。その内容は簡単に言えば、人間は利己的でも攻撃的でもなく、パニックも起こさなかった、というものでした。
それは科学的には大成功で、新たに人類史に「希望」をともす内容でしたが、しかし視聴者にしてみれば、極めてつまらない番組でもありました。
視聴者は、番組に期待していた人間のドロドロした一面を見ることはできなかった。要は、テレビ的には失敗だったわけです。
ブレグマン氏は、善人を邪悪な場所に入れてテレビ用に撮影しても、大したことは起きないという事実をもって、「TVプロデューサーらに残酷な真実を突きつけた」と断じました。

「希望」をどう伝えていけるか

かくしてメディアが商業的にも永続性のある形で「希望」を伝えてゆくことは、そう簡単なことではありません。
人間は定住するようになって以降、見知らぬ人に対して不信感を抱くようになった、と『希望の歴史』は指摘します。ホモ・サピエンスは、世界主義者(コスモポリタン)をやめて外国人恐怖症になり、やがて戦争が始まったというのです。
そして今も、世界のニュースはあまり読まれません。新聞の国際面が縮小して久しいし、自らのコミュニティと所有物にまつわるニュースにしか関心が向けられないのが現実です。
それでもなお、2022年は「希望」をどう伝えていけるかが重要になってくる。
人間の本性は善である、という新しい現実主義を説いた本書は、そう思わせてくれるほどインパクトのある名著でした。
地球温暖化から、
互いへの不信感の高まりまで、
現代が抱える難問に
立ち向かおうとするのであれば、
人間の本性についての考え方を
見直すところから始めるべきだろう。

ーー『希望の歴史』より
思い出してほしい(まだ見ていない人はぜひ見てほしい)のは、連載中の総力特集『The World in 2022』の巻頭動画に登場する、松本杏奈氏のインタビューです。
というのも、彼女もまた、期せずして今、「希望」を語ったからです。まさに印象的な内容でした。
渡米して気付いたのは、
世界を変える人は、能力を持つ人でも
熱意を持つ人でもなく、
「希望」を持った人なんだ、
ということでした。
「きっと物事はうまくいくだろう」と、何も無批判に楽観論を展開していきたいのではありません。
ブレグマン氏が指摘する通り、希望とはあくまで「変化の可能性」にすぎません。物事はいい方向に変わるかもしれないけれど、必ずしもそうなるとは限らないからです。
しかし、人々が世界をどう見るかは、何よりも強力にこの世界そのものを形作っていきます。
メディアもまた、もっと希望を持って世界と向き合ってもよいのではないか。人間の良心を信じることから始めていく。悲観的かつシニカルな見方ばかりが現実主義ではありません。
アフターコロナ時代のメディアに求められるグレート・リセットとは、そういうことなのだろうと思うのです。