【野村忠宏×ビジネスパーソン】「本気で自分を変える」ために必要なこと

2021/12/29
11月下旬、NewsPicks NewSchool「超一流アスリート×伝説のトップセールス 〜圧倒的な結果を出す共通の思考法〜」の本番セッションが横浜市の小見川道場で開催された。
20名の受講生が首都圏だけでなく山口県や新潟県など遠方からも駆けつけ、「伝説の保険営業マン」として知られる金沢景敏のファシリテートのもと、柔道衣をまとった野村忠宏が「五輪3連覇」の経験を語った。
「五輪3連覇」は、柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となる偉業だった。野村は日本が誇る世界的レジェンドである。
ただし、子供のときから“最強”だったわけではない。実は中1のときに女子選手に負けるような、落ちこぼれにすぎなかった。
中1のときに140cm・32kgしかなく、体が小さいために勝負にならず、天理高校進学時には柔道部の監督だった父から「無理して柔道を続けんでええぞ」と言われてしまった。大学1年のときは天理大学の校内予選で敗れ、関西大会にすら出場できなかった。
しかし、大学2年から人生が一変する。全日本学生体重別選手権を制すると、ライバルたちをごぼう抜きにし、大学4年のときにアトランタ五輪で金メダルを勝ち取った。
野村は冒頭で参加者に
「『本気で自分を変えて結果を出したい』と覚悟を持っている方に、ドアを叩いて来ていただきたい。そんな思いで、このプロジェクトに参画させていただくことになりました。
私も、オリンピック3連覇という、外から見ると輝かしい結果を残したように見えますが、それは弱い自分を受け入れ、常に自分と向き合い続けた結果論でしかありません。
ビジネスの世界で結果を出したいと思っている方に向けて、『結果を出すための思考』『弱い自分との向き合い方』など、私の経験を生かしながら全力でお伝えしていきます。
合わせて、このプロジェクトは私にとっての新たなチャレンジでもあります。
いま、私は『アスリートの価値を高め、スポーツの持つ無限の可能性を広く社会に伝えること』をミッションにして様々な活動をしています。
それこそが、私を育て、人生の財産と言える素晴らしいものを与えてくれた、柔道、スポーツへの恩返しになると信じています。
参加者の皆さんも自身と向き合う中で、自分の弱さや甘さから目を背けたい気持ちになるかもしれませんが、それはビジネスの世界で戦っている皆さんの挑戦と目標達成につながる成長の機会です。
私もこのプロジェクトに参加を決意した皆さんと本気で向き合っていきたいと思います。」
と投げかけ、セッションはスタートした。
なぜ落ちこぼれは五輪3連覇を成し遂げられたのだろう? 野村が受講生に語った内容から3つの「教え」をクローズアップしたい。

【野村の教え1】

小手先に走らない。美学を追求して自分だけの武器を得る。
高2のときのことだ。高校団体日本一を目指す天理には、重量級が集まり、軽量級はほとんどいなかった。普段の練習で、野村は一回りも二回りも大きい相手とやらなければならなかった。
まともに組み合ったら、勝てるはずがない。そこで野村は頭をひねり、小柄さとスピードを生かした柔道に取り組もうと考えた。組み際や片襟の不十分な組手のまま、相手を揺さぶるように動き、相手が崩れたところにどんどん技を仕掛けるような奇襲作戦だ。
大きな相手を、投げる場面が少し増え、野村は手応えをつかみつつあった。
だが、それはプロの指導者からみたら、誤魔化しの柔道で、ある日、柔道部の監督である父から稽古中に厳しく叱責された。
「本物のチャンピオンになりたいなら小手先の柔道はやめろ。今は勝てなくてもいいから組め。組んで柔道をしろ」
野村は父から柔道を習った記憶があまりない。高校に入ってからは更に父は同じ柔道部にいる息子に対し一線を引き、道場で言葉を交わすことはほとんどなくなった。それだけに人生初の“野村先生からの叱責”は心の深くに突き刺さった。
「自分なりに考えたスタイルを否定され、怒られたら、普通は嫌な気持ちになるのですが、父からの初のアドバイスだったから、『自分を見てくれている』ってすごく嬉しかったんですよ。父の言葉を信じてみようと思った。その結果、また勝てなくなったんですが、このときの意味ある努力が未来につながったんです」
父の教えは間違ってなかった。大きな相手としっかり組むことで、柔道の真髄が見えてきた。
「相手の鎖骨あたりの襟を持ちながら拳を押し付けると、自分の体重が相手に乗り、それが圧力になるとわかった。相手がこちらの釣り手を切ろうとする瞬間、襟を持っている手首や肘を曲げ相手との間合いを縮めれば、相手に力が入らないこともわかった。
初めて五輪で優勝した大学4年の時は、ベンチプレスが60kgしか上がらず、握力が40kgしかなかったけど、筋骨隆々の外国人とやっても柔道で力負けしなかった。それは父の言葉を信じ、しっかり組んで一本を取る柔道を続け、体の使い方、活かし方、理にかなう柔道の動きや技術をしっかりと身につけることが出来たからです。」
目先の結果に走らず、美学を追い求めたことで、野村は自分だけの武器を手に入れることができた。

【野村の教え2】

「おまえはそんなものか」という問いかけが、努力の濃度を変える。
野村にはもう1人、人生を変えてくれた恩師がいる。天理大学柔道部で監督を務めていた細川伸二だ。1984年ロサンゼルス五輪・柔道男子60kg級の金メダリストである。
野村は高3になると体重が55kgになり、ようやく60kg級で勝負できる体つきになった。20歳以下対象の全日本ジュニアでは、1回戦突破後に父から「闘志のない柔道をするなら帰れ!」と激怒されて尻に火がつき、無名だったにもかかわらずまさかの準優勝。ついにジュニア年代の強化選手に選ばれた。
だが10代の野村はまだ「気分屋」だった。
たとえば、試合中にうまくいかないことがあると、集中が切れてしまう。大学1年のときに校内予選で負けたのも、審判を務めた上級生が仲間をひいきしたと思い込み、残された試合で投げやりになったからだった。精神的な波が大きい選手だったのである。
細川は弱点を見抜いていた。大学2年の春、「相手をしてやる」と野村に声をかけた。監督自ら稽古をつけるのは異例中の異例で、道場にざわめきが広がった。野村自身も驚きを隠せなかった。
「まわりも自分も『え?』という感じでした。細川先生は現役を引退してから練習していなかったし、たまに女子選手相手に体を動かすという程度だったので。
組んだら、やっぱり強いんですよ。こっちも学生ながらに意地があって『細川先生に投げられたくない』、『金メダリストを投げたい』という気持ちになってガチの乱取り(実戦形式の稽古)になった。練習なのに練習じゃない感覚。試合に近い緊迫感がありました。」
鬼気迫る乱取りを終えると、細川はハァハァと息を切らしながらこう告げた。
「おまえ、こんな練習できるやないか。今、ワシに向かってきたような気持ちで普段練習してたか?」
その後、細川は言葉を続けた。
「おまえは練習への取り組みが甘すぎる。残りの本数が何本か、残り時間が何分かを考えて、その時間を乗り切ることしか考えていない。それは与えられたメニューをペース配分しながら、こなしているだけの練習や。それでは強くなれない」
野村は核心を突かれたと思った。
「自分の悪い癖を全部見抜かれ、『バテたら休んでいいから、乱取りの1本目を試合の1回戦と思って練習しろ』と言われました。細川先生から口だけで言われたら、わからなかったかもしれない。でも実際に稽古をつけてくれたので、痛いほどわかった。自分の甘さを指摘されて、変わらなきゃと思いました」
次の日から野村はペース配分を止め、乱取りの1本目から全集中するようになった。すると数本目で動けなくなり、野村は正直に「もうきついです」と細川に告げた。
しかし、返ってきたのは「おまえ、そんなもんか」の一言。野村は「話が違う」と憤りながらも、練習を続け、限界の先の世界を知ることができた。
「正直腹が立ちましたが、やっと追い込む練習をできるようになったのに、ここで休んだら今までと同じだと思った。本当の意味で自分を変えるタイミングは、ここだろうと思ったんです。そこからは意地。なにくそと思ってやり始めたら、意外とできた。自分が限界だと思っていたことは、客観的に見たら限界じゃなかったんですよ。細川先生の『おまえ、そんなもんか』の一言が、本気をつくりあげる練習の仕方を教えてくれました」

【野村の教え3】

逃げそうになったときのために、大切にすべき行動原理を持っておく。
長らく勝てなかったことも関係しているのだろう。野村は試合前日、負ける恐怖で寝られるなくなるほどの心配性だ。関西弁で言うところの「びびり」。「会場が潰れろ。そうしたら延期になる」と思ったこともあったという。
だが恐怖心にはプラスの面もある。「想定外を想定内にする」ために、本番で何が起こるだろうという想像をかきたててくれるのだ。
野村は大学4年のときにアトランタ五輪への切符を手にすると、過去に五輪で失敗した人たちの原因を探った。
「いろいろな人たちの話を聞いていたら、五輪で自分の力を出しきれずに負けた人がいっぱいることがわかった。『五輪には魔物がいる』と言うように、雰囲気に飲み込まれてしまう。だから自分の場合、金メダルという目標と、金メダルを獲得するために何をしなければならないかは、明確に分けようと思ったんです。『俺は自分の柔道で金を獲りに行くぞ』とただ前のめりになるのではなく、課題を明確にし、それに集中することが金メダルへの道だと思ったんです」
野村は課題を3つに絞り込んだ。
「1つ目は、常に前に出て攻撃し続ける。それが自分の最大の強み。若さと勢いがあり、技のキレにも自信があった。
2つ目は感情を顔に出さない。ピンチが来たり、思い通りの試合展開にならなくても、絶対に顔に出さないと決めた。過去に相手が組んでくれなかったり、嫌な展開になると、諦めの表情が出ることがあったんです。それは相手に伝わるし、審判にも伝わるんですよね。
3つ目はどんな状況でも絶対に諦めない。ラスト1秒、ブザーが鳴るまで戦い続ける。金メダルのためにこの3つを必ず貫くと決めました」
アトランタ五輪の3回戦、当時の世界王者ニコライ・オジェギン(ロシア)との試合で、まさにそれが問われる瞬間がやってきた。
オジョギンが有効2つをリードし、ラスト20秒を迎える。会場の誰もが勝負は決したと思っただろう。野村だけは違った。
「少し焦りが生まれながらも、絶対に諦めるな、表情に出すなと自分に言い聞かせていました」
ラスト15秒、野村は右手で相手の襟(釣り手)をつかんだものの、左手で袖(引き手)を持つことはできていない。瞬時に本能が選んだのが、漫画『柔道部物語』で読んだ主人公・三五十五の片手背負いだった。
「練習ではきちんと両手で組んでから投げることを心がけていたので、不十分な片襟での投げは日頃から練習している技ではありませんでした。
でも、ポイントをリードして逃げ切りをはかった相手は組もうとしないし、これが唯一の選択肢だった。頭で考えたんじゃなく、一瞬の反応で出た技でした。
相手の懐に入ったとき、このままじゃ投げられないと思い、最低限自分の腰に乗せられるように何度も腰を入れ、手で相手の足をつかみ、自分の頭から飛び込むようにして相手を回した。
諦め悪く自分の柔道を追い求め、基本を大切にしながら、時間をかけて体に染み込ませた技術と感覚が、あの奇跡の技を生み出したんだと思います」
野村はこの勝利で勢いに乗り、決勝ではジローラモ・ジォビナッツォ(イタリア)に背負い投げで一本勝ちして初めての金メダルを獲得した。
「試合が選手を成長させるとよく言いますが、まさにそうだった。あのオジェギンと向き合った5分間の中で、自分が弱さを克服していくのがわかった。過去の試合を振り返っても、オジェギン戦が自分を一番成長させてくれたと思います。オリンピックという大舞台で自身に与えたテーマを貫いて世界チャンピオンに逆転勝ち出来たことは大きな自信となりました。」
アトランタ五輪で王者になったことで、新たな挑戦が始まった。野村は「脱力の極意」、「鏡の中の自分に語りかける」、「防衛的悲観主義」、「弱い自分を認める」といった思考法や習慣を実践し、3連覇を成し遂げた。

一人ひとりが「目標」を宣言

本番セッションでは双方向でのやりとりが重視され、金沢がファシリテートしながら受講者からの質問を引き出す形で進められた。
受講者には極真空手の元世界王者など、高いレベルで格闘技やスポーツに打ち込んできた人たちが多くおり、過去にバレエに明け暮れていたという女性がこんな悩みを打ち明けた。
「私は今、保険営業の仕事をしているんですが、食べるのを忘れるくらいバレエに没頭したのに対して、ビジネスではそうなってなくて。そんな自分を変えたいと思って、この講座に参加しました」
プルデンシャル生命保険の営業で国内営業社員約3200人の頂点(個人保険部門)に立った金沢がアドバイスした。
金沢 一番頑張ってたのが過去の自分って嫌じゃないですか。そのあとの人生ってなんなのってなる。
受講者 そうなんです。あのときは輝いていたと思っている自分がいて、今それを恥ずかしいと思っていて。
金沢 ビジネスをやっている自分を、バレエのとき以上に好きにならなきゃ。僕もTBS時代にそうだったんですが、逃げたら自己嫌悪に陥る。ビジネスを好きになって結果を出しましょう。
野村 多くのアスリートが同じような思いを抱いているかもしれない。私ももっと頑張らなきゃ。
セッションの最後には「なりたい自分になるための行動変容」をより確かなものにするために、一人ひとりが短期目標を宣言する時間が設けられた。
英語教育アプリの経営者Aが真っ先に登壇した。
「今、自分の何が嫌かというと、毎日全力を出し切ってないって思っていること。今日、野村さんと金沢さんの話を聞いて、自分は本気で悔しさを感じてなかったんだと気づきました。今日から、本気を出してないことを、心の底から悔しいと思うようにしたい。
実はこの講座に参加している方の一人が日報サポートの会社を経営していて、僕も利用し始めました。毎日写メを送って報告するんですが、その日報に『1日本気で生きれたか』、『それに対してどれだけ悔しさを感じているか』を書くことを毎日のルールにしようと思います」
その言葉を受け、日報サービスの経営者Bが前に出た。
「はっきり言います。Aさんと違って、昨日も寝落ちするまで仕事をしていました。目を動かすと、こめかみがぶちぶちなるくらい、仕事をしていました。
ただ、今日お話を聞いて、もっともっと攻め込まなくちゃいけないと思った。これまで経営者として人を採用したり、育成したりする中、1つだけやっていなかったのがヘッドハンティング求人です。1月下旬までに地元の銀行のトップ営業マン2人をヘッドハンティングすることを宣言します」
そこそこの結果を出す人と、圧倒的な結果を出す人の違いは何か? 野村は最後にこう伝えた。
「真剣にやるからこそ、成長、感動、苦しみがある。それを経験できるのは貴重なことだと思って、誰もやっていないことに向かって走り続けました」
約6時間のセッション終了後、希望者(授業や部活で柔道経験あり)が柔道衣に着替え、野村の背負い投げを体験した。畳の上で組み合った経験は一生の思い出になっただろう。
参加者たちはこう感想を語った。
「自分は入社から現在まで、営業マンとして結果が残せていません。結果を出したいと思っているものの変われず、変わるきっかけをつかみたくてこの講座に参加しました。参加前は一般的なセミナーと同じイメージを持っていましたが、双方向での対話を大切にしていて、そのつど一歩立ち止まり、深く考えるきっかけになりました。DAY2までを終えて、この時間を『変わるきっかけ』にしないといけないと、強い決意が生まれました」
「野村さん、金沢さんには成功体験だけでなく、失敗体験も多く語って頂きました。特別な人間だから成し遂げられるのではなく、変わるポイントは自分にしかないとわかりました」
「ものすごく刺激を受けた時間となりました。今までは理想に対して『なれたらいいな』という願望にすぎませんでしたが、『なってやる』という覚悟になり、意識や気持ちが大きく変化しました。アスリートの思考はビジネスでも生きると感じました。24時間の過ごし方を変え、仕事で圧倒的な成果を出したいです」
五輪3連覇が持つ特別な本気と熱は、受講者たちの心の奥深くにきっと届いたはずだ。
(取材、構成:木崎伸也、写真:是枝右恭)