日本人は漢字を古代中国から取り入れたのに、なぜ中国語は導入しなかったのか=中国-サーチナ
日本人は漢字を古代中国から取り入れたのに、なぜ中国語は導入しなかったのか=中国
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古代世界においては話し言葉と書き言葉が異なることはごく普通のことでした。
そもそもモノを書くのは、記録するという文化を持つ民族だけが生み出し得たモノです。
それが他の民族が国家を形成する中で、記録することに迫られ、その結果文字が輸入されることになりました。
そんなわけで大抵の民族は独自の文字など持っていませんでしたし、中世までは一部のエリート以外一般人は文字の読み書きはできませんでした。
例えば、古代オリエントではシュメール王朝、アッカド帝国、バビロニア帝国、カッシート帝国、アッシリア帝国、ヒッタイト帝国など様々な王朝が盛衰を繰り返し、話し言葉はいずれも違いましたが、書き言葉は全て同一でシュメールの楔形文字が発展したアッカド文字でした。
アッカド文字はやがてより進んだ記述体系を持つフェニキア文字が原型となったアラム文字にとって変わられ主に東方に世界的に広がることになります。
西はペルシア文字、南はアラブ文字、そして東は中央アジアのソグド文字、中国のモンゴルや満州文字も全てアラム文字が派生したものです。
そしてフェニキア文字を元にしたもう一つの文字は西に広まり、ギリシア文字を経て現在のアルファベットの原型となるのです。
つまり、現在の多くの世界で使われている書き言葉は、その話し言葉と関係なく、大抵フェニキア文字が元になっているということなんですね。
ただ中華文明圏はこの例外で、それが漢字であり、日本はフェニキア文字の派生系ではなく、書き言葉として漢字を導入したということなのです。