2021/12/16

なぜ製薬会社が「オープンイノベーション」に注力するのか

NewsPicks Brand Design editor
少子高齢化の加速、医療費の増大—日本のヘルスケア分野には課題が山積している。その課題を解決するべく、旗振り役を務めるのが大手製薬メーカー・アストラゼネカだ。
2020年11月、アストラゼネカはヘルスケア分野で複数の企業、アカデミア、自治体を巻き込んだ「共創」を促すべく、オープンイノベーションハブ「innovation Infusion Japan(以下、i2.JP)」を始動。参加企業同士のビジネスマッチングや、ミートアップイベントなどを行っている。
発足から1年を経た今、i2.JP(アイツー・ドット・ジェイピー)からどのようなイノベーションが生まれているのか。先日開催されたイベントについて報告する。

ヘルスケア分野の「ウォークマン」を生み出せるか

日本の医療制度が窮地に立たされている。
2021年現在、日本は高齢者人口(65歳以上)割合29.1%と、次点のイタリアを約6%も突き放して、世界で最も高齢化が進んだ状態にある。
加えて少子化も深刻で、2021年8月時点の総人口1億2530万人に対し、2050年には2000万人以上減少する見込みだ。
少子高齢化が加速することによって懸念されるのが、医療費の増大だ。
2018年時点で、国民全体の医療費43.4兆円のうち、26.3兆円が65歳以上に使われている。これは、65歳以下の国民一人当たりの医療費と比べると、約4倍の額だ。
今後、人口動態が見込み通りに進んでいけば、日本の医療制度は崩壊しかねない。
「この窮地を乗り越えるためには、ヘルスケア分野におけるイノベーション創出が不可欠です」と語るのは、アストラゼネカ日本法人代表取締役社長、ステファン・ヴォックスストラム氏だ。
「少子高齢化は日本のみならず、世界各国もこれから直面する課題です。日本がどのようにしてこの難題に取り組むのか、世界の注目を集めています。
かつて、ウォークマンや携帯電話など、日本発のデバイスが世界中に広がったように、日本のヘルスケア分野のスタートアップから誕生したデバイスやサービスが、世界でシェアを握る可能性を秘めているのです」(ヴォックスストラム氏)
これまでアストラゼネカは、医薬品の開発・供給のみならず、医療機器との連携やデジタル技術を活用したイノベーションの創出にも積極的に取り組んできた。
とはいえ、大きなイノベーションは1社の努力では生まれにくい。そこで、アストラゼネカは、2020年11月、オープンイノベーションハブ「i2.JP」を創設した。
果たして、ここからヘルスケア分野のウォークマンが生まれるのだろうか。

発足から1年で成功したビジネスマッチングは40以上

i2.JP(アイツー・ドット・ジェイピー)は、ヘルスケア分野に特化したソリューションの創出を目指すオープンイノベーションプラットフォームだ。
医療従事者、地方自治体、アカデミア、民間企業などのパートナーは、このプラットフォームに参加することで、ヘルスケア分野の問題解決に向けた異業種や異分野の団体とのビジネスマッチングの機会を得られる。
2021年11月11日時点で既に9回のミートアップイベントを開催し、アストラゼネカが関わるプロジェクトが16、それ以外の参加パートナーに関しては30以上のビジネスマッチングに成功している。
その好例が、アストラゼネカとMICINとの共創だ。
MICINは、全国5000施設以上にオンライン診療サービス「curon(クロン)」を提供する医療スタートアップだ。このマッチングにより2社は、慢性閉塞性肺疾患(COPD)患者を対象とした、遠隔医療/服薬指導の活用に向けた検証プログラムを実施した。
i2.JPの運営をリードする、アストラゼネカ イノベーションパートナーシップ&ダイレクターの劉雷(りゅう れい)氏は、MICINとのプロジェクトについて次のように語る。
「このプロジェクトは、COVID-19流行下の日本において、COPD患者さんの抱える課題を解決する目的でスタートしました。
COPD患者さんには、定期的かつ継続的な治療が不可欠。しかし、COPD患者さんはCOVID-19に感染すると重症化しやすいハイリスク群でもあるため、それを懸念して通院頻度が落ちるケースもありました。
そこでMICINと共に、オンライン診療によってCOVID-19の感染リスクを回避しながら治療を続けられる仕組みを構築したのです」(劉氏)

共創成功の秘訣は「脱・テクノロジー・ドリブン」

患者や医療従事者が抱える課題を起点として行われたビジネスマッチング事例は、ほかにもある。昨年秋、アストラゼネカは木幡製作所、Welbyの3社共同で「呼吸リハビリプロジェクト」を開始した。
「肺がん患者さんや医療従事者の方々に聞き取りを行ったところ、リハビリが外来から在宅に移ったときに、モチベーション維持や手順がネックとなり、継続を難しくさせていることがわかりました。
i2.JPを通じて木幡製作所とWelbyの2社にこの課題を相談し、呼吸リハビリプロジェクトが始まりました」
このように説明するのは、アストラゼネカ メディカル本部オンコロジー肺がん/腫瘍免疫領域部長 北川洋氏だ。
木幡計器製作所とアストラゼネカが共同で、肺がん患者の呼吸リハビリの記録を行えるデバイスを開発。
このデバイスをスマートフォンやタブレットに接続することで、呼吸リハビリの実施データはWelbyのPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)プラットフォームにアップされる。
PHRとは、健康にまつわるさまざまな情報を集約できるサービスで、患者はアプリを通じて自分のリハビリデータを管理・確認できるようになるのだ。
リハビリデータへのアクセスが容易になれば、モチベーション向上が望める。また、理学療法士などリハビリに関わる医療従事者の指導の質の向上も期待でき、双方にメリットがある。
「当事者のリアルな課題を下地にした理想的な共創だった」と振り返るのは、木幡計器製作所代表取締役 木幡巌氏だ。
「木幡計器製作所が医療機器分野に参入したのも、私の実母である先代社長が肺がんになり、患者とその家族という立ち位置で感じた課題を解決したかったからです。
今回も、プロジェクトのスタート段階から『患者や医療従事者の課題解決』という目標を共有し、それを下地に3社が役割分担できたのは非常によかったです」(木幡氏)
従来、特にITベンチャーのプロジェクトの進め方は、「テクノロジー・ドリブン」であることが多い。
まず技術革新が起こり、それに付随する形でユーザーの課題が解決されていくのだ。しかし、テクノロジーを活用することにこだわるあまり、ユーザーの本質的な課題が見えなくなるケースもあった。
一方、i2.JPでは、まず患者や医療従事者の本質的な課題を探り、それを軸にしたマッチングを経てプロジェクトが始動する。
Welby代表取締役 比木武氏は「初動で課題が絞られていると、仮に横道に逸れてもプロジェクトの原点に立ち返ることができる」とその重要性を語る。
「i2.JPというプラットフォームを使って前提となる課題を絞り込み、それをテーマにしたビジネスマッチングを行う。アストラゼネカ社がその旗振りをしているのが、非常に重要なのだと思います。
これは、行政はもちろん、民間企業として一定の規模感やネームバリューがなければ務まらない役割。
i2.JPがヘルスケア分野に貢献した実績がさらに生まれれば、今後『患者中心のイノベーションからはじめよう』というムーブメントも起こせると考えています」(比木氏)

アストラゼネカがイノベーションの「旗振り役」になる

i2.JPには、先述した国内企業向けのビジネスマッチングに加え、アストラゼネカのグローバルネットワークを利用した「日本へのインバウンド」「日本からのアウトバウンド」をサポートする役割もある。
たとえば、テクノロジー企業のビジネス成長を推進する英官民連携組織「Tech Nation」とのコラボレーションがそうだ。これまで、英国発のスタートアップ企業15社と面談を行い、そのうち5社がi2.JPに参画している。
また、ヘルスケア分野のスタートアップが海外進出する際、「薬事承認のノウハウ」は大きなハードルとなる。
そこでi2.JPは、既に20以上あるアストラゼネカのグローバルハブのネットワークを通じて、現地の薬事承認にノウハウがある企業に接続するなどの役割も担っている。
このようなi2.JP ならではのサポートや患者中心のソリューション提供に賛同し、2020年の立ち上げ当初7社だった参加団体は、2021年11月時点で既に130を超えた。マッチングによるプロジェクトも、徐々に軌道に乗りはじめている。
「今後も我々はi2.JPに集まった仲間と実務的なプロジェクトを生みだし、社会実装を進めていく。2022年以降は、そうした活動をさらに加速させていきます。
i2.JPは発足してから1年強と、人間で言えばよちよち歩きの段階ですが、将来的には国内外のビジネスマッチングを進めるための『旗振り役』になりたい。
どんどんニーズを取りまとめて、パートナーの皆さんを巻き込んでいきたいと思います」(劉氏)