野党の「批判」はどうあるべき? 立民新代表は追及一辺倒のイメージ払拭を訴えるが…:東京新聞 TOKYO Web
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立憲にも色んな考えの人がいるはず。
党としてどうしても譲れない問題以外、特に党内で意見が分かれているような案件は「党議拘束」を外せばいいのではないか。
国会議員は党で選ばれているだけでなく、人でも選ばれています。
野党が一致団結して自民党に対抗すべきことは必要だと思いますが、いいと思うことは個人単位で賛成すればいい。
これをやれば立憲のイメージも変わると思いますよ。
注目のコメント
私も野党の批判は大事だというのには賛成
でも、立憲のやり方は、国会のやり取りを見ていても、議論というよりは裁判所の法廷のようなイメージで、政権側の人間を被告人=悪人のように見立てて、自分たちを正義のヒーローのような立場に置こうとし過ぎているように思えて、
正直わたしは見ていてすごくイライラします。
国や社会を良くしようという思いよりも、追求側のカッコつけというか、エゴばかり感じられてしまうので。
多分、そんな感じ方をしてる人は多いでしょう。だから「無意味なクイズ大会」みたいに揶揄されてしまう。
もう少しまともな「議論」にならないのか。
まあ、自民党側がはぐらかしばっかりだから自然にどんどんそうなっていってしまうのかも知れないけど。
そもそも「批判」=クリティークというのは、相手を非難するだけでは足りないのです。
ここは良いと思います、というところも指摘してこそのクリティーク。
もし何も良いところが無いと言うなら、ハッキリと全否定してくれ。
多分そういうところがしっかりしてないから、「対案を出せよ」みたいな定型句に説得力が出てきてしまうんです。
非難だけの批判だったら、2ちゃんねるなんかの連中と同レベルですよ。そんなの支持できるわけない。
でも、そういうことを本当にしっかりやろうとするなら、今の野党の質疑の時間じゃ全然足りないような気はします。
その辺のシステムから考え直した方がいいのかもいや、まったく。野党が批判しないで、誰が批判するのか? 既に対案は出し続けている。対案の出しようもなく、否定する以外にない法案もある。大体、批判だけでなく対案まで求めるのは与党の怠慢だろう。新聞まで挙って、大政翼賛会を目指しているかのようで、恐ろしい。
とりあえず自分用の備忘録も含めて、「良い批判」についてまとめてみます。(自分もちゃんとできてるかな?)
1.「人格」ではなく「内容」を批判する。
「カップ麺の値段を知らないから庶民感覚が無い」と言うのは政治家個人の性格の問題でしかないので、傍から見ると人格攻撃にしか見えません。「軽減税率は富裕層の方が利益が多くて不公平」の様に政策の中身を批判しましょう。
「総理の生い立ち」を質疑するとか論外です(笑)
2.「野党もやってた」「与党の方がひどい」的な「相手もやってたから自分もOK」理論の禁止。
これは与党支持者に多い気がしますが、たとえ対立陣営もやってようが悪い事は悪い事に変わりはないので言い訳はやめましょう。
3.立場の弱い相手に怒鳴るの禁止。
野党→官僚とか、某総裁候補がやらかしてましたが、怒鳴らなくても批判はできます。「感情を強く出す」アピールで良くなるのはテレビ受けくらいです。
4.「何が問題で、それについてどうしたいのか」を明示しましょう。
「政策に反対したい」だけだと、「批判だけ」と思われます。「この政策に反対したい。そして、その政策を取る理由として挙げられている課題についてこう解決したい。(または〜〜というエビデンスに基づけばその課題は重要ではない)」まで言えば批判だけとは言われないはず。
特に1番については、「人格をディスる」のは政治意識を問わず、全ての国民の耳目を集めれるのでワイドショー的な知名度アップには有効なんですが、そればっかりやると政策立案能力が減ってますます政権を取れなくなります。
とりあえず、これらができれば「ちゃんと批判している」と言われる気がします。