iモードの猛獣使い

携帯の前に「ポケベル」の時代があった

iモード夜明け前、感触は「成功率9割」

2014/9/29

さて、FAXで届いたマッキンゼー・レポートを読んで私はどう思ったかというと「ラッキー!! これは当たりそうだ」の一言でした。成功確率は9割あるのではなかろうか、商品を上手に創れば大ヒットするのではと思いました。それはなぜか?

2年間にわたる栃木支店での経験があったからです。特に「ベル友」との遭遇がのちのiモードの成功を私に確信させました。

ドコモは1992年にNTTから分離独立しました。

NTTから生まれたと聞くと、膨大な持参金付きで楽だったと思われるかもしれませんが、当時のドコモの経営は苦しく、赤黒ギリギリでした。何故かというと、市場が極めて小さかったからです。

今のケータイ全盛時代、携帯電話の売り上げや携帯会社の時価総額が10兆円を越えるなど誰も想像できなかった時代です。もし想像できた人や会社があったなら、今頃は大富豪になっているはずです。私も大富豪になり損なった一人です。

当時の主力はポケットベル

当時の携帯電話は携帯とは名ばかりで、ハードカバーの本ぐらいの大きさの電話機にするのがやっとで、主力商品はポケットベルと自動車電話でした。

自動車電話の契約には高額な負担金や保証金が必要なので顧客は限られ、個人が利用できる携帯タイプの、モバイルタイプの通信手段はポケベルが中心でした。ポケベル市場のピークはiモードの開発を開始した時期で、1000万契約を越えドコモとテレメッセージグループの2社が市場を半々に分け合っていました。ポケベルと言われてもすでに忘れてしまった方が多いのではないでしょうか。

ポケットベル受信機には各々電話番号が付いており、そこに電話するとポケベルが鳴り、ポケベルの所有者は近くの固定電話や公衆電話から発信者に折り返し電話することによりコミュニケーションをとる仕組みです。

ポケベルの和文表記は「無線呼び出し」です。

その名の通り、通話したい相手を無線で呼び出して、相手から電話をかけてもらう仕組みです。

今となっては少しまどろっこしい仕組みですが、携帯電話が普及していない当時では、唯一無二の移動通信手段でした。少し手間がかかりますが、どうしても連絡を取りたい方が使う通信手段であることから、利用者は外回りの営業の方などビジネス関係のお客さまがほとんどでした。

しかし、ビジネス用途のままでは1千万契約、すなわち日本人の10人に一人が持つまでにはなりません。一大ブームがポケベル市場を急成長させるのです。「ベル友」です。

ポケベルの液晶には最初、折り返しかけて欲しい電話番号である数字のみを表示していました。

その後、電話番号ではなく数字の語呂合わせが始まり、プッシュホンから数字を入力すると相手のポケベルにアルファベットやカナの表示ができるようになりました。「11」と入力すると相手には「あ」と表示される短文メールサービスに変化して行ったのです。

強力な女子高生ネットワークが起爆剤

この機能を一番有効に利用したのが女子高生でした。

朝一番のオハヨウからはじまって次々と友達とポケベルを使った会話を始めました。ポケベルを使ったメールです。少し時間のかかるチャットです。

なぜ時間がかかるかと言うと、受信は早いのですが、返信するには固定電話や公衆電話の前まで物理的に行く必要がありますから。

ポケベル友達、略して「ベル友」の誕生です。ポケベルは若者のコミュニケーションツールに変わって行ったのです。

ベル友の拡大スピードは驚異的でした。そもそもコミュニケーションには会話の相手が必要です。ポケベルを契約した彼女らがとる行動は、親しい友達に次々とポケベルを勧めコミュニケーションの輪を拡大することです。

宇都宮市内のドコモショップの店頭には飴などが無料で置かれ、女子高生が寛ぎやすい内装に整えられました。ポケベルを持っている学生が学校帰りに、ベル友候補を連れて来る。その子がまた他の友達を勧誘するという循環でお客さまが拡大して行きました。

大昔、電電公社に就職してすぐ、社内レクレーションで釣り船で酔って以来私は釣りをしたことがないのですが、鮎の友釣りってこんな感じなんだろうなと思った記憶があります。

ベル友の登場によりポケベル市場の性格がビジネス市場からコンシューマ市場へと急激に変貌し、その規模も急速に拡大していきました。