漫画家の白土三平さんが死去 「忍者武芸帳」「カムイ伝」
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注目のコメント
間違いなく日本マンガ史上の巨大な存在なのですが、今となっては日本マンガ史の系譜の中に位置づけにくい人です。
・プロレタリア芸術の画家の子に生まれ、その流れをマンガの世界に持ち込んだ代表的な人物
・紙芝居作家として出発し、『忍者武芸帳』や『サスケ』で、忍者マンガという、『NARUTO』にまでつながる重要ジャンルの元祖になった人
・百姓一揆や被差別部落を描いたマンガ家としては間違いなく代表的で、社会的啓発の影響も大きかった人
・活躍の場として1964年に創刊された『ガロ』を与えられたマンガ家
しかし、『ガロ』が1970年代には衰退したこともあり、白戸三平が現在にまで続く直接の系譜を持っているとはいえません。マンガ家としての主な活動期は、1960年代でした。
『カムイ伝』も最高峰といえるのは第1部に尽きます。そういうことはおいておいても、歴史学上の正確さはおいておいても、『カムイ伝』第1部のマンガとしての素晴らしさは、やはりマンガ史上に確固として刻まれるべきです。正助と仲間たちの苦悩、自然の移り変わりとともに変動していく産業と農村社会、そして日本全体から見れば局地的な騒動に過ぎなかった日置大一揆へと昇華されていく全てのドラマは、質とスケールにおいて、並ぶ作品を挙げることはちょっと難しいです。
この60年代の白戸三平の影響は大きなもので、手塚治虫氏を超大作『火の鳥』に駆り立てたのは、白戸三平をライバル視したがためといわれます。劇画というジャンルを創設し、マンガを大人の読む表現領域に発展させ、その後の日本ポップカルチャーを世界化した源流を作った偉人。カムイ伝のために作られた「ガロ」はぼくの体の一部をなしています。ありがとうございました。合掌。
中学生から高校生時代に、カムイ伝を見ていました。
娯楽性が高い「サスケ」と「カムイ伝」を見ることで、
まんがが大衆商品であると同時に、メッセージ性のある「作品」でもありえることを知りました。