【前編】世界の見方が変わる、超ロジカルな仏教講義
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一週間のお休みを経て、今回のテーマは「仏教」です。今回もいい意味で、皆さんにゾクゾクしてもらえると思います。
イチゴパフェの例がありました。
龍源さんの話を聞き、原稿を書く段階で「なるほど〜」と納得したのですが、その意味を頭ではなく「体感」したのは、本文にイチゴパフェのイメージを挿入したとき。
イメージ画像サイトで「イチゴパフェ」と検索すると、千差万別、いろんな画像が出てきます。
その中で最も「一般的なイチゴパフェのイメージに近いもの」を探したのですが、そのときに「イチゴパフェのイメージって結局、何なん?」って。
●イチゴが乗ってるのは必須として、パフェのグラスは丸っこいのより縦長だなぁ。じゃあ中身が同じでも、お皿や浅いグラスに入れた時点でパフェじゃなくなるの?それも変な話かも。
●アイスクリームにイチゴや果物を飾ってるだけじゃ、見た目はパフェっぽいけどパフェといえないかも。やっぱりウエハースとかカステラが乗ってないと・・・。それもグラスの上から飛び出していてほしいけど、じゃあ中に埋まってたらパフェのイメージから外れるのか。
●これだ!と思った写真の説明に「イチゴサンデー」って書いてあるけど、パフェとサンデーの違いって何やろう。
●いや、私が思ってる「パフェ」がそもそも、大多数の人が思う「パフェ」と同じなんだろうか。挿入した写真を見て「なんか違う」と思われないだろうか。
こんな感じで、頭がぐわんぐわんしました。
この考えの変遷をみても、ふだん「これが◯◯だ」と考えていることが、いかに不確実で実体がないかということですね。
後半から、毎週月曜の掲載に変更になります。ぜひ次回もお楽しみに!
追記:
本文中にもあるコテンラジオの「最澄と空海」シリーズの冒頭で、深井さんが龍源さんと思しきお坊さんに話を聞きに行ったことが言及されています。本記事とリンクするところが多いので、ぜひこちらも!
https://youtu.be/eEGmmzm3wwY
すでに先行配信されたPodcastを聴かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、今回もすごい内容です。仏教がここまでロジカルで、かつ社会や人間の本質を言い表したものだとは。しかもそれを、2500年以上前にです。「そういうことだったのか」と腑に落ちる快感を、ぜひ味わっていただければと思います。
大乗と小乗の説明は端的でわかりやすいと思いました。
私自身はカトリック教徒ですが、納骨堂ビジネスをする中で、仏教や伝統宗教の積み上げてきたものの価値を感じるようになりました。
新しい形の供養や葬送の形は毎年誕生しますが、ある側面からはとても綺麗に解決してくれる絵のようにように見えるのですが、少し違う視点から見ると薄っぺらい二次元のものだと感じてしまう事が多いです。
あらゆる視点からチャチャを入れられ、屁理屈をこねられ、時に迫害もされながら生き残った哲学体系であると言う事が既に価値なんだと思います。
自社の販売する納骨堂でも宗教感が薄い方が見学者が多く来ますが、仏事に裏打ちされた運営をしないと満足度が下がります。膨大な積み上げの中から必要な知恵を引き出し参考となる提示をできるかどうかと言うのもこれからの寺院の前提になるのかなと感じてます。
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