選手の声にしがみつく限界
スポーツジャーナリズムの危機
2014/9/25
今、日本のジャーナリズムが揺れている。マスメディアの信頼が落ちる一方、新興メディアにはジャーナリズム意識が十分に育ってない。スポーツメディアもその例外ではなく、デジタル時代のモデル創りに苦しんでいる状況だ。紙媒体の衰退で報道のクオリティが低下する中、スポーツジャーナリズムはどこに活路を見い出せばいいのか。
歪み始めるスポーツ界の「三角形」
ヨーロッパのスポーツ界では、プロリーグの盛り上がりには正しい三角形が成り立つことが重要だと言われている。「選手」、「ファン」、そして「メディア」による三角形だ。
選手がいなければスポーツは始まらないが、プロの報酬の源はファンがチケットやグッズに支払ったお金だ。スポンサーもファンのひとつと見なせるだろう。そこにメディアという情報発信者が加わることで、スポーツが持つエンターテインメント性が何百倍にもなる。このトライアングルの構成要素がそれぞれ成長し、正しく相互作用しなければ、プロスポーツの発展は望めない。
だが今、日本のスポーツ界を見ると、この三角形のバランスが非常に危うい状況にある。選手が国際経験を積んで実力を伸ばし、ファンも海外での観戦を通じて知識を増やす一方で、メディアのみが衰弱しつつあるからだ。その結果、三角形が歪み始めている。
日本のスポーツメディアは、2つの問題に直面している。
消滅するスポーツ雑誌
1つ目はビジネスモデルの崩壊だ。
他の分野のメディアと同じように、インターネットの普及によって無料で記事を読めるようになった。次第に新聞や雑誌といった紙媒体は売れなくなり、採算が合わなくなり始めた。スポーツは世界中で行なわれるため、他分野以上に出張経費がかかることもダメージを大きくしている。
特に景気の浮き沈みを味わったのがスポーツ雑誌業界だ。
サッカー日本代表が1998年にW杯に初出場し、さらに2002年に自国にW杯がやって来たことで、空前のサッカーブームが起こった。それに後押しされてスポーツおよびサッカー雑誌の市場が急成長する。だが、そこにインターネットの波が押し寄せ、さらに2006年W杯で日本が惨敗したことでサッカーバブルが崩壊した。わずか8年間の乱高下だった。
2006年、光文社の『VS.』と角川書店の『Sports Yeah!』という2つのスポーツ総合誌が休刊に追い込まれた。2010年には集英社の『スポルティーバ』が月刊誌としての形態を終了し、WEB中心に移行した。2013年には『週刊サッカーマガジン』が実質上の廃刊になった(現在は別の編集部が立ち上げられ、『サッカーマガジンZONE』として存続している)。
今や全国規模で定期的に刊行されるスポーツ総合誌は文藝春秋の『Number』だけになってしまった。スポーツ取材において日常的に経費を負担しようとする媒体は『Number』くらいで、フリーランスのライターやカメラマンにとっては非常に厳しい状況である。原稿料で経費をカバーするしかなく、W杯ほどの国民的行事でも逆に経費がかさむため黒字にするのは難しい。転職を迫られる者もおり、たとえば4年前にスポーツ総合誌の表紙を飾ったカメラマンでも採算が合わなくなり、現在は自動車工場で働いている。
すべてのメディアが不振なわけではない。インターネット上のスポーツメディアは伸びており、講談社の『ゲキサカ』やフロムワン社の『サッカーキング』はサッカー速報の分野でスポーツ新聞を上回っている。野球界では大リーグ情報を中心に発信する『フルカウント』が成功し、“ヤフー・トピックス”の常連になった。ただし、紙媒体に比べるとまだまだ小さなムーブメントだ。
スポーツ新聞も苦しんでいる。
欧州やアメリカには、現地採用のスポーツ新聞の通信員が多くいる。かつて筆者は2002年夏から2009年までオランダとドイツでスポーツ新聞の通信員を務め、一定の報酬とともに出張経費を負担してもらっていた。
しかし、状況は変わった。各社のスポーツ新聞の通信員への報酬が下がっており、経費を削減するために取材する試合数も抑えられるようになった。
報酬が減れば、自ずと士気が下がる。本来ならば自分が働くスポーツ新聞の記事が出るまでは、他媒体にその取材情報を出すべきではない。ところが、他媒体のインターネット速報に選手のコメントや原稿を提供する通信員が現われ始めた(もちろんモラルを守っているジャーナリストもたくさんいる)。これでは報道の質が高まるはずがない。
選手を厳しく批評できない
2つ目の問題は、まさにその質に関することだ。
日本におけるプロ野球報道は、歴史も長く報道形式が確立されていて質のブレは少なく、この問題には当てはまらないだろう。だが、サッカーに関しては日本における歴史が浅いこともあって、質のブレが大きくなっている。
結論から言えば、現在のサッカーメディアは「選手の声」に頼りすぎている。選手がアイドル化しており、ファンの需要を満たすことをメディア側が意識しすぎ、「論評」や「批評」に対するエネルギーが弱まってしまっているのだ。
これは自戒を込めて書かなければならない。筆者は2010年W杯からの4年間、本田圭佑を追いかけ、彼の言葉を繰り返し発信してきた。その反響が大きかったこともあり、いつの間にか言葉を引き出すことが最も重要なテーマになり、それに対する論評や批評は疎かになっていた。
本来ならばチームの戦術に関する部分は監督に訊くべきなのだが、この選手ならばチームを変えられると思い、まるで本田圭佑が監督であるかのように接してしまった。本人が影響を受けることはなかったかもしれないが、記者のスタンスとして偏っていた。
もちろん1つ目と2つ目の問題はリンクしている。
スポーツメディアが潤っているときは、読者の関心があまりなかったとしても、大切だと思われるテーマに投資する余裕があった。しかしインターネットがメディアの中心になると現時点のビジネスモデルでは収入は限られ、どうしても目先のPVを追いかけてしまう。かつてできていた現場取材と論評の両立が困難になった。
NewsPicksの佐々木紀彦編集長から「スポーツ部門をやりませんか?」と声をかけてもらったとき、真っ先に頭に浮かんだのは「どうしたらスポーツメディアはインターネットにおいて新たなビジネスモデルを構築できるのか?」ということだった。
自分の出張日数をカウントしてみたところ、昨年は『Number』の企画を中心に187日間海外にいた。やはりスポーツの熱がつまっているのは現場だ。そのスタンスを貫きつつ、同時にスポーツメディアの新たな形を見出す試みをしたいと思った。
NewsPicksのスポーツ記事で目指すこと
10 月上旬に正式に始まるNewsPicksのスポーツ部門(略してNPスポーツ)において、取り組もうと考えていることが3つある。
1つ目はスポーツビジネスの最先端の現場で活躍している人たちを舞台に上げることだ。ITによってスポーツに革命を起こそうとしている外資系企業の副社長、イングランドの名門サッカークラブで働く女性の連載がスタートする。また、ヨーロッパのサッカー中堅国で行なわれている「GM養成講座」を、日本人が初めて受講して卒業した。サッカー経営のエリート教育を、WEB上で再現したい。大袈裟に言えば、“NPスポーツのシンクタンク化”というイメージだ。
2つ目はスポーツそのものを研究することだ。たとえばデータを視覚化したインフォグラフィクスによって、「ビッグクラブになる条件」、「世界で最も急成長しているリーグ」といったことをあぶり出したい。一流アスリートの肉体にも迫る。こちらは“NPスポーツ研究室”である。
そして3つ目は批評の分野に果敢に切り込むことだ。NewsPicksには政治や経済の専門家がいる。その人たちの力を借りながら、「中国サッカーはなぜ強くなれないのか?」(もしくはブレイク寸前なのか?)、「なぜ日本の大企業はJリーグに資金を出し惜しみするのか」といった少しばかり可燃性を帯びたテーマを議論したい。うまいたとえが思いつかないが、あえて書くなら“攻撃部門”だ。
シンクタンク化、横断的な分析、アグレッシブな議論という3本の矢を、現場からの熱い風に乗せ、日本のスポーツメディアにおける課金モデルを確立したい。