令和「バカの壁」【ゲスト:養老孟司】
コメント
注目のコメント
「馬鹿の壁」は実用書では無いと思う。
古参の養老ファンとして放言してしまうと、養老先生の書いている事を社会の出来事に適用しても大抵は面白くないのです(というわけで、この対談も大半は面白くない)。
議論の向きとしては逆で、社会のありふれた事象や大学教員生活の中の何気ない出来事の話が、気がつけば脳やその他の体の組織といった、血管等が現実に絡み合った身体=自然の話に繋がるのが解剖学者としての養老先生の真骨頂だと思います。少なくとも唯脳論までの養老先生の著作は基本これ。
「馬鹿の壁」も元々は文庫で6ページのエッセイで、いわゆる学問の分断も、そもそも脳の構造にも個人差があるのだから他所の分野を理解出来ないのも仕方ないでしょという話で、
「医学的常識によれば、学問がだれにでもわかるなどというのは、当然嘘である。私に数学をやれといっても、無理である。わかれといっても、わからぬものはわからぬ」
それを「馬鹿の壁」と認めた上で、その辺り哲学がどうにかしてくれないかなぁというボヤキなわけです。行き着くところは、身体性。
というわけで、この対談の中で養老節と呼べるのは40:30から41:30辺りの一分間ぐらいですね。残りは比較的どうでも良いかと(正直残念な対談です)。もしこの一分間の養老先生の言葉に興味があれば初期著作集である「脳の見方」と集大成の「唯脳論」がお薦めです。めも
・医者という職業について
医学はサイエンスではない、とはいえサイエンス的な側面もあるというのが現実。だからこそ科学的なコミュニケーションだけで仕事を完結させることも出来ないし、その説明責任を放棄することも出来ない。極めて高度な関わり方が求められている職業。
・なぜ自分が専門でないことに関しては語らないのか
自分が考えてこなかったからという話と、自分自身が多くのことを語れないという謙虚さ/諦念が絡み合って生まれていると思う。死には3つあって、1つが一人称の死で、これは自分ではわからないから気にしても仕方ない。
2つ目が三人称の死でこれはどこかの誰かの死で、気になるのは一瞬ですぐに忘れてしまう。
残る3つ目が二人称の死で、目の前にいるあなたの死。
そう考えると結局死のリアリティは二人称の死であり、養老さんはそれを指して、死は周囲との関係性と言ってるのかなと思いました。色々考えさせられた深い回でした!