2021/9/22

【SARAYA発】社会課題を解決する、持続可能なビジネスとは?

NewsPicks / Brand Design 編集者
創業時から社会課題の解決に取り組み、世界の「衛生・環境・健康」の向上に貢献しているSARAYA。「SDGs」という言葉が提唱される前から、企業として環境や衛生、貧困などの問題に向き合い、経営活動を行ってきたトップランナーだ。

これまで歩んできた道のりや、世界中の生活者に寄り添い、社会のあらゆる課題に応えられるSARAYAならではの持続可能なビジネス、SARAYA独自の環境思想、企業として果たす役割についてコミュニケーション本部広報宣伝統括部の廣岡竜也統括部長に聞いた。
「環境にやさしいはずの洗剤が、ボルネオの環境を破壊しています。それについてどう思われますか?」
テレビのドキュメンタリー番組でマイクを突き付けられたSARAYAの代表取締役社長、更家悠介は当惑した。
自然派をうたうSARAYAの看板商品「ヤシノミ洗剤」の原材料であるヤシの油が、ボルネオで環境破壊を招いているという。しかし、商社から洗剤原料を仕入れているだけのSARAYAは、原料生産地で何が起こっているのか、まったく知らなかったのだ。
指摘を受けて、SARAYAはすぐに現地に飛び、現状を把握するとともに改善活動を始めた。これがSARAYAのターニングポイントになった──2004年のことだ。

感染予防のSARAYA。スタートは戦後の疫病予防

新型コロナウイルスの感染拡大とともに、あらゆる場所に用意されるようになった手指消毒液。手を出すだけで自動的に消毒液が噴霧されるマシンもある。ウィズコロナの暮らしに欠かせない消毒液、そこには「SARAYA」の文字がある。
SARAYAは世界の「衛生・環境・健康」の向上に貢献する衛生ビジネスのパイオニア企業。その創業は1952(昭和27)年にさかのぼる──。
三重県熊野市出身の創業者・更家章太が事業を始めたこの時代、戦後の劣悪な衛生環境の中、日本では赤痢などの感染症で命を落とす人が後を絶たなかった。
「今の新型コロナの状況と似ていますよね。創業者は感染症の流行に対して何かできないか、という思いから、感染対策の基本は手洗いだから、石けんを作ろう。それも、ただの石けんではなく、当時、市場に無かった手を洗うと同時に殺菌・消毒ができる薬用石けん液を作ろうと考えたのです」
SARAYAコミュニケーション本部広報宣伝統括部統括部長の廣岡竜也が説明する。
「画期的だったのは、薬用石けん液を作っただけでなく、それを入れる容器まで考案して作ってしまったことです」
公共のトイレに行くと、洗面台に付いている丸い容器。手のひらを当ててワンプッシュすると、緑色の液体石けんが出てくる。使うたびに薬用石けん液が出てくるので衛生的だ。
この中に入っているのが、緑の石けん液・シャボネット。今も変わらずに日本中で愛用されている液体石けんと専用の容器は、このとき生まれた。
「創業者は、感染症や病気の予防に手洗いが大切だという衛生観念の啓発も行いました。
手洗い励行の標語を作り、日本中の家庭、学校に手洗いの文化を広めたのです。みんなが石けんで手を洗えば、うちの石けんが売れる。石けんで手を洗う人が増えれば、病気も減る。
社会の問題をビジネスで解決しようというSARAYAの原点──今に至るSDGsの出発点は、まさにここにあるのです」

植物性の台所洗剤に問屋は冷たかった

SARAYAのもうひとつのロングセラー商品「ヤシノミ洗剤」が誕生したのは、今から50年前の1971(昭和46)年だ。
日本の高度経済成長の終盤にさしかかっていたその当時、成長のひずみがさまざまな社会問題を引き起こしていた。そのひとつに石油系合成洗剤の排水による河川や湖沼の深刻な汚染問題があった。
「モノをキレイにするための洗剤が環境を汚すのは間違っている。環境を汚さない洗剤を出そうじゃないかと考えました。
当時からわが社は給食センターなどにヤシの油を使った業務用の植物性洗剤を供給していたのですが、これが『手が荒れない』と好評でした。そこで、この洗剤をベースに無香料・無着色の家庭用台所洗剤を作ったのです。
このときのコンセプトが、『手肌と地球にやさしい』です。植物性で余計な添加物を入れていないので、排水は素早く分解されて地球に返ります。これを世に送り出しました」
だが、このヤシノミ洗剤は、大手メーカーの合成洗剤より50円も高かった。
「大阪の無名の中小メーカーが、大手より50円も高い洗剤を持って行っても、問屋さんは相手にしてくれません。環境への意識など、まだ芽生えてもいなかったのです。
営業は苦労したと聞いています。それでも創業者自らが商談に出向いて、商品のコンセプトを説明することで、少しずつ共感して扱ってくださる所が出てきた。消費者の中にも、環境問題への意識のある方が生まれていました」
創業者はこのヤシノミ洗剤に対して深い愛着を持っていたという。常にデスクに置いて、商品のブラッシュアップを考えていたそうだ。その中から生まれたのが、詰め替えパック。
今でこそ当たり前だが、これはヤシノミ洗剤が1982年に台所洗剤として最初に始めた。40年も前から、プラスチックごみの削減を考えていたわけだ。

ヤシノミ洗剤がボルネオの環境を破壊している?

「ヤシノミ洗剤は、爆発的には売れませんが、手荒れに悩む人や環境にやさしいというコンセプトに共感してくれた人たちの間で、口コミで広まっていきました。そうして少しずつファンを増やしていくなかで、大変ショッキングな出来事が起こるんです」
それが冒頭の一件だ。2004(平成16)年、ボルネオの環境問題を取り上げたテレビ番組が放映されることになった。ボルネオでは熱帯雨林がどんどん伐採され、アブラヤシの畑に変わっている。そのためにゾウをはじめとする貴重な動植物が絶滅寸前だというのだ。
テレビ局から、ヤシの油を使っているメーカーとしての意見を聞かれたSARAYAは困惑する。SARAYAは商社を通じて洗剤原料を仕入れて商品化しているので、その原料を調達するアブラヤシの畑のことも、ボルネオの現状も、何も知らなかったのだ。
「社長の更家は、『ボルネオの現状を知らなかった。だが、知った以上はどうすればよいか、考えて行動する』と答えたのですが、最初の『知りませんでした』のところでカットされ、放映されてしまいました。
すると途端に『ヤシノミ洗剤は環境にやさしいと信じていたのに、環境を破壊していたなんて』と、愛用者からクレームの嵐です。そこでまず、現地に飛んで、本当に環境破壊がヤシノミ洗剤のせいなのか、ボルネオの現状を調査することにしたのです」

ボルネオの環境問題をともに考える

現地では確かに熱帯雨林が次々にアブラヤシの畑に変わっていた。そのアブラヤシから採れるヤシの油は“パーム油”といい、我々が認識するヤシの油とは別物。現地の人々に現金収入をもたらし、マレーシアにとっても貴重な輸出品になっているからだ。
写真:yusnizam/i-stock
だが、調べてみると、このパーム油の約85%は揚げ油などに使われる「食用」で、非食用は約15%。洗剤需要はその中の数%しかなく、SARAYAのヤシノミ洗剤の使用量となると、ほんのわずかな量だということがわかった。
「だからといって『熱帯雨林の伐採はヤシノミ洗剤のせいではない』ということではありません。
ヤシノミ洗剤が使わなかったとしても、サラヤの社員も消費者として生活の中で食べている。つまり矢面から商品だけが逃れても、ボルネオの環境破壊は何も改善されない。
だったら、常に時代の一歩先を走ってきたと自負するヤシノミ洗剤として、この問題を消費者と共有し、メーカーと消費者そして現地の生産者とともにみんなの力で改善の道を探っていこうというのが、ボルネオ環境保全活動の始まりです」

「売り上げ1%寄付」に社員は猛反発

「活動にあたり、ヤシノミ洗剤の売り上げの1%(※メーカー出荷額)をボルネオの環境保全のために使うことを決めました。
しかし、この仕組みに対し、当初、営業マンも財務担当者もうちの看板商品の売り上げの1%を出すなんて大変な損失だ。売り上げを1%伸ばすことが、どんなに大変なことかわかっているのかと、それはもう大変なけんまくでした」
だが、その一方で、世の中の流れは確実に変わっていった。人々の環境問題への意識は高まり、消費者の中にも、SARAYAの1%寄付に賛同する人が増える。環境問題への企業の取り組みにも、厳しい目が向けられるようになってきた。
「するとヤシノミ洗剤の売り上げが伸びていき、社員たちは反発しようがなくなりました。そして、ボルネオの活動が、さまざまな環境賞をいただいたのです。
外部から評価されたことで、社員の意識が変わっていきました。自分たちの会社や製品、環境活動に、誇りを持つようになったのです」
SARAYAの出発点は、疫病がまん延する戦後の日本社会を良くしたい、という思い──。
社員たちが自社の原点をあらためて認識することになったこの出来事は、SARAYAという企業が「社会貢献」へと明確にかじをきるきっかけにもなった。
現在、国内で販売されているSARAYAのパーム油関連商品は、100%「持続可能なパーム油」(RSPO認証)を取得している。

ウガンダに会社と工場設立。現地で消毒剤を作り持続可能なビジネスへ

次にSARAYAが目を向けたのはアフリカ、ウガンダだ。
「わが社の軸は、衛生・環境・健康です。ちょうど創業60周年にあたり『SARAYAは手洗い世界一を目指します』と宣言し、本業である衛生面で世界の役に立ちたいという思いがありました。
たまたまユニセフとご縁があり、『手洗いで世界の衛生向上に貢献したい』という話をしたところ、ウガンダで一緒にやっていきましょうということになりました」
それが2010年から始まった「ウガンダ100万人の手洗いプロジェクト」だ。SARAYAの衛生商品の売り上げの1%を、ウガンダでユニセフが行う手洗い普及活動の支援にあて、ウガンダの人々に手洗い設備だけでなく、手洗いの大切さを伝えている。
(写真提供:SARAYA)
(写真提供:SARAYA)
さらに病院の衛生環境が劣悪なこともわかり、アルコール消毒の重要性を教育していった。だが、そのアルコール消毒剤が高くて、なかなか手に入らない。たまに寄付されても、なくなれば終わり。
ならば現地で作るようにすれば、現地の人々を雇用し、原料も現地で調達できて経済的な自立の支援にもなると、SARAYAはアルコール消毒剤の製造工場を建設することに。SARAYAの技術を用いてBOPビジネスへ挑戦することになった。
「このビジネスは赤字が続きましたが、アフリカでエボラ出血熱が猛威を振るった際に、各国から来る治療団にSARAYAのアルコール消毒剤を提供することで、徐々に認知されるようになっていきました。
今ではアルコールで消毒することを『SARAYAする』と言うほど、SARAYA=消毒が定着しました
(写真提供:SARAYA)
そもそもアフリカの中でウガンダに目を向けた理由として、この国が英語圏であることも大きかったという。
「いずれこの国でビジネスを展開するときに、やはり英語のほうが進めやすいということがありました。それに内戦が終結し、比較的政情が安定していることも重要でした」
現在、現地法人SARAYA・MFG・ウガンダは、ウガンダの人たちだけでビジネスを展開し、見事に黒字化を達成している。

社会課題をビジネスにスピードをもって取り組む社風

SARAYAは2017(平成29)年、第1回ジャパンSDGsアワードで外務大臣賞を受賞した。企業活動を通じて社会課題を解決し、それを“きれいごと”で終わらせず、持続可能なソーシャルビジネスとして実現する力が認められたのだ。
かつて「環境じゃ物は売れねえ」と問屋から相手にされなかった時代から、ぶれることなく貫いてきたその姿勢の、太い背骨はどこにあるのか。
「創業者は、熊野地方で代々林業を営んだ家系の出身であったことから、自然をあがめ、大切にする意識をずっと持っている人でした。そして現社長も若い頃から世界に目を向け、その中で環境や社会問題をとらえてきました。
環境問題や社会課題をビジネスとしてどう展開できるか。
SARAYAではその判断が早く、スピード感をもって課題に取り組めます。これは上場していない中小企業の良い面でもありますね。
社長への提案がOKになれば、すぐ行動に移すことができます。そうなると、これをやりたい、という意欲を持った優秀な人材も集まってくるんです。
実際に売り上げが伸びなければ、社員もついてこなかったでしょう。でも、幸い業績がきちんとついてきているので、社員も納得するし、ステークホルダーの皆さんの目も変わってきました」
ぶれずに歩んできた道に、ようやく社会が追い付いてきた感じだろうか。だが、やるべきことはまだたくさんあると言う。
「我々は自分たちの活動がベストだとは思っていません。SDGsの達成に向けて、原料調達や容器の素材など、まだまだ取り組むべきことがあります。できることからやっていきますが、それには消費者の皆さんの理解も必要です。
SARAYAの商品はこういう思想で作られているから買う、と言ってくださるお客様は、SARAYAとともに社会課題の解決に手を貸してくださるわけです。
そういうお客様とコミュニケーションを取りながら、お客様の理解と私たちの活動をうまく合致させ、ビジネスを回していく。その先にSDGsのゴールがあるのかもしれません」