欧州など十数カ国、アフガン退避便の一時着陸受け入れ=米国務省
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米国は、世界各国にアフガニスタン難民の受け入れを要請しています。すでに受け入れを表明している国は、
・カナダ 2万人
・英国 2万人(今年は5千人で、4年間の計画)
で、米国自身も受け入れざるをえませんが、人数は決まっていません。ベトナム戦争後に受け入れたのが13万人だったので、それが1つの目安ではないかともいわれています。
バングラデシュのように、米国の要請を拒否している国もあります。ロヒンギャ難民だけですでに100万人いるので、当然ともいえますが。
アフガニスタン難民は、何万人になるかわかりませんが、受け入れ先は全然足りません。また、米国、英国、カナダなどに受け入れられるとしても、すぐに入国できるわけではありません。米国は、一時的な滞在の受け入れも、多くの国に要請しています。一時的に受け入れることを引き受けた国は、
・パキスタン
・インド
・ウガンダ(2千人まで)
などがあります。この記事でいう「欧州に着陸」というのも、まずドイツに着陸したうえで、多くの難民は一時的な滞在先に向かうことになります。アルバニアやコソボ、北マケドニアが、一時的な滞在先になることを引き受けています。
米国や英国行きを希望していたものの、一時的だったはずの滞在先にずっと住むことになる、というのも、難民にはよくあることです。たとえば、インドネシアは2013年にアフガニスタン難民8千人の一時滞在を引き受けましたが、その後、欧米やオーストラリアには行けないまま、今もインドネシアに住んでいます。アメリカのアフガン撤退は、タリバンが急速に全土を支配したため準備不足だったということは言えるが、この撤退のロジの混乱はアメリカらしくない。米軍に協力したアフガン市民は6万人、家族も入れると10万人とも言われるので、さらにロジは大変。
アフガニスタンはアメリカに20年間頼ってきましたが、いつかは自国統治をしなければなりません。戦争が終わってもアメリカ軍が駐留していたのは、現地のアメリカへの協力者からの強い要請があったからで、その恩を感じて駐留していました。その人たちの協力なしではタリバン排除はできなかった。
歴史的には1989年のソ連軍が撤退したあと国内の支配をめぐってアフガニスタン紛争 (1989年-2001年)が始まったんですね。WIKIにのっていました。この国は自国で統治すると混乱する傾向にあるようです。
日本もそうですが、一国である程度判断できる力を持たないといけません。
アフガニスタン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3