《津久井やまゆり園》「精神鑑定」で浮かび上がった植松聖の本性…“やんちゃなお調子者”が“戦後最多の殺人犯”に変貌したワケ
文春オンライン
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人間誰しも「障害」を抱えているものです。身体障害、知的障害、精神障害などで、軽度とされるものもあれば、重度とされるものもあります。重複障害とされる場合も、その組み合わせはもちろん、程度も様々です。
社会の中で、障害とどう折り合いをつけていくか。それもまた様々であり、中には他者とのコミュニケーションがうまくいかない障害もありますから、そもそも社会という1つの共通概念に当てはめようとすること自体が、結局のところ折り合いのつかない要因なのかもしれません。
重度の障害を抱えている人たちが社会的養護の中で生活をし、そこに福祉制度の中から補助金が支給される。それらは法制度に基づいたしくみです。一方で社会との折り合いがつかず、犯罪をおかしてしまう人が罰せられるのもまた法制度によるものです。
社会生活の中には、それら法制度に基づかない部分のほうが多く、その部分での折り合いは、各人の思想がぶつかり合いながら均衡点に至っているに過ぎない。重度障害者に対する極端な思想もまた1つの思想ですが、一方で重度障害者のほうはその極端な思想に自らの思想をぶつけることが困難なため、周囲の別の人たちが重度障害者の立場で思想をぶつけていくしかない。それらも含め、何が正しくて何が間違っているのかではなく、均衡点に至ったことの1つひとつを社会に定着させていく地道な作業。われわれはそれを繰り返していくしかなく、それが社会への貢献なのだと思います。