学校教員は「死」について触れたがらない。これでは自殺予防教育なんてできるはずがない。
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近くの公立中の先生が、本気で「死」と向き合い、話をしてくれたと生徒から聞いた。
学校では死や宗教、お金、性についてはタブー視されて語られないと思っていたけど、先生によってなんだろうなあ。
エイメイではまじめに語ることあるよ。生徒たちには、本気で考えてほしいから。
注目のコメント
そういう人もいます。でもまあ言うて、教師が思っているよりも生徒はずっと分かってます。
夏休み前は安全教育で水難事故について授業をしました。自殺(自死)については、専門家呼んで講演をしてもらいました。
配慮をするのは、例えば震災で家族をなくされた生徒がいるときの震災を題材にした授業の扱いです。事前に聞いて問題なければ実施します。
あとはいつも迷うのは、亡くなったあるいは行方不明のままの生徒の話をするかどうかです。文脈とか話の出し方にもよると思うんですが、防げる事故の話なら同じようなことを繰り返さないようにと思います。生は地獄で死は救済
と思っている。
生き地獄をどうやって乗り越え、
死を迎えて人は初めて救われるんだと思う。
ただ、現状、
生と死は隣り合わせで表裏一体なのに、
生 をやけに尊いモノにして、
死 をタブー視しがち。
おそらく、その原因は、
戦争およびそれにまつわるコト
にあるのだと思う。
戦争によって、
理不尽に殺された人々、
死ななくて良かった人々が
たくさん死んだ。
となると、
戦争を経験し、それを乗り越えて
生きてきた世代の人達は、
死んでいった人の分まで生きよう
と、いのち、生を今まで以上に大切にすると同時に
死 というモノを、
忌むべきモノ、拒絶するモノとして
取り扱うようになったのではないかと。
きっと私も実際に戦争を経験し、
家族や親しい人はもちろん、赤の他人でも
目の前で人が理不尽に死んでいくのを
目の当たりにしたら、そういった価値観、
死 から出来る限り、
目を背けるような考えになったかもしれない。
学校教員はもちろん、
家庭でだって、 死 に触れない。
有り難い事に、
私は曾祖母の死に際に幼いながらに
立ち会えた。
あわせて、これはレアケースだが、
父も母も自殺で亡くしている。
自分も毎日 死にたい と思って
実際に行動に移すような期間(約2年)
を過ごした事もある。
そもそも、両親、教員、
または、精神科医の中に、
死にたい と本気で考え、
悩み苦しみ、実際に行動するも失敗、
生きる気力も死ぬ為の気力もなくなる、
そこからなんとか舞い戻り、
自分の中に 闇 を抱えながら、
毎日の生活に折り合いをつけながら
生きてる人がどれくらいいるだろうか。
多分、いない。
とある座談会で、
有名な経営者、頭の良いアシスタント、
そして、精神科医が 自殺防止 について
語る動画を見たことがある。
その際、
「みなさんは、自ら死にたいと思った事が
ありますか?」
という質問に、
全員が、
「無い」
と答えていた。
それ自体は何も問題ないのだが、
無いという発言を少し笑いながらしていたり、
死にたいという気持ちがわからない
と、言ってた。
これは無理だと思った。
本当の意味での
自殺予防教育が出来る人間は
限られている。