【新】10年後はAIが代替。データ偏重マーケティングの危うさ
コメント
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〉マーケティング思考に基づいた施策は、ある程度の成果にはつながるが、「大ヒット」にはなかなか至らないのが実情だ
ユーザーの中で、ある程度の試作というイメージで止まってしまうのは、大部分の欲求が満たされていても、痒いところに手が届いていないと感じてしまうからだと思いました。
多くの人が利用するAmazonなどのサービスは、
顧客からの問い合わせはチャットボットや自動音声が対応しますが、その問い合わせで、痒いところに手が届かないなぁと思った体験があります。
人でないと対応できない問い合わせをするにあたり、まず問い合わせ先を探すことがとても大変でした。なくなくチャットボットで問い合わせても適切な回答が得られず、担当者と直接話ができるまでしばらく時間がかかってしまいました。
こういった大きなサービスは、チャットボットや自動音声などの活用により、問い合わせ業務を上手く効率化できていると思います。
また、ユーザーの大抵の困りごとを解消できるのも事実ですが、
人でないと解消できない困り事の問い合わせが、もっとスムーズにできれば良いのになと感じてしまいました。
問い合わせの本質は、困りごとを解消したい。
ことだから、本当に困ったとき、人に問い合わせたい時の連絡方法を整備する必要があるとかんじました。
注目のコメント
長年マーケターの身として、まさしく!と共感しかありません。もちろん分析も重要ですが、ある程度の分析=ロジックは、AIが代行できても、ココロであるマジックの分野は、AIは決して代行できない人としての神秘なエリアです。
「相手の心に丁寧に向き合う」ことは、マーケティングに限らず組織作りにもいえるなと痛感します。どんな仕事であれ職種であれ、1番大切な要素。どんなにロジックで説得しようとしても、最終的に人は心で動く。自分から見えている相手の姿は、ほんの氷山の一角に過ぎないからこそ、深層心理の心に丁寧に向き合えた瞬間マジックが生まれ、相手の心も動く。お互いにとって至福の瞬間です。ああ、だからマーケティングはやめられません。「過去のデータを扱う算数も必要だけれど、未来の人の心を考える国語も重要」と言っていらしたのは確かリクルートにいたくらたまなぶ氏。算数ばやりですが、国語の本質が過小評価されすぎているなと改めて感じました。
今週のザ・プロフェットでは、エステーの「消臭力」や「米唐番」など数々のヒットCMを世に送り出してきた、マーケターの鹿毛康司さんにお話を伺います。
コロナ禍でDXが進み、ビッグデータの活用が盛んに叫ばれるマーケティングの世界ですが、データはあくまでも過去に起こったことの軌跡に過ぎない、と鹿毛さんは言います。
東日本大震災、そしてコロナ禍という「先の読めない転換期」に、鹿毛さんがデータだけに頼ることなく徹してきたマーケティングの本質とは何か。
データマーケティングが隆盛している今こそ忘れないようにしたい考え方について、じっくり語っていただきました。