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頭がいいのは、知識が豊富なこと?

そうじゃないですよね。もちろん専門家として、知識が豊富なことは素晴らしい。

しかし、専門用語を使うことなく、具体的な例を出したりしながら、わかり安く説明できることも、とても大切。

子どもでもわかるレベルで。特に実体験をともなったことがいい。多くの人が役立てられるようにしてほしいですね。
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授業のわかりやすさとは、少しねじれの位置の議論ですが、メディアでお仕事を頂いた時に、「どれくらい断定的なコメントをするか」という難しさがあります。

たとえば、3.11の福島原発で「白い煙が上がっている」という事実を伝えるニュースの際に、様々な研究者がコメンテーターとして呼ばれました。ある研究者は「まだ何とも言えない」とお茶を濁し、一方で別の研究者は「これは爆発ですね!間違いない!」とコメントしました。メディアとしては、当然、視聴者に刺さりやすい分かりやすいコメントを好むので、翌日には後者の断定的な研究者ばかりが、各局の番組で強い意見を発信する状態となりました。

私たち研究者は「得られた情報から、正しい結果を導く」のが仕事であり、間違えた結論を発信する事は何よりも大きなタブーの一つです。

研究論文では多くの場合、結果と考察のパートが分かれており、実験データから客観的に100%導かれる事実のみを「結果」に記載し、先行論文を加味した上で示唆される事を「考察」に書くという明確なルールがあります。どこまでが「結果」で、どこからが「考察」になるのか、その線引きを見極めるトレーニングが骨身に染み付いていると言えます。(上の例で言えば、「爆発している」は考察に分類されます)

「〜が示された」と言いたい時にも、「結果」では、demonstrate、show、exhibitといった強い動詞が使える一方で、「考察」ではimply、suggestといった弱い動詞しか使えません。もちろんテレビのコメントでは、分かりやすくはっきり教えてほしくなる気持ちも十分にわかりますが一方で、研究のプロであればあるほど、断定的なコメントをするのが難しくなるという事も知っていて頂きたいなと思うわけです。
研究する能力と門外漢にも分かりやすく説明する能力は別物。確かにそんな肌感覚があります。1つはこの記事にあるような理解の階段を意識せずに高い高度から話してしまうこと。もう1つは研究を主とする日本の教授にはそもそも分かりやすく話すというモチベーションがないこと。実際生徒からの講義の評価にさらされる米国の教授は話がうまい人が多い。

後、初学者に概念を説明する時には、他の事柄で例えるなどの工夫が必要ですが、「一流の専門家」ゆえに専門外の雑学に詳しくないので例えストックが少ない。そんなことも影響しているのではないかと思います。
僕は物事を考えるときの1つのポイントはアナロジーと考えていて、なので大学で電磁波を教えるときは同じ支配方程式で理解できる音とかバネマス系とかいろんな話をします。
が、この対比による分かりやすさは、他の人にもそのまま適用できるとは限らないので、そういったあたりのさじ加減はなかなか難しく感じています。

あと、これは声を大にして言いたいのですが、専門用語は物事を難しく伝えるために使っているのではありません。過不足なく、間違いなく情報を伝えるには、適切な専門用語を使うのが最も労力が低いのです。下手な喩えなんかは逆に物事を混乱させます。

学部の頃さっぱり分からなかった指定教科書が、ある程度勉強が進んだ頃に読み返すと非常に明確なロジックで書かれていることが分かり感動したことがあるのですが、専門的なところが分かってくるって、そんなプロセスが必要なのではないかなとも思います。
教授が学生によって評価される仕組みを導入すれば良いのでは?かつてケロッグ経営大学院で学んだ時、授業選択は、学生が自分の持ち点を賭けるビッド制でしたので、どの教授が人気か一目瞭然でした。

今のシステムは知りませんが、当時は毎学期1000点をもらって、それを配分して授業を選択しました。人気のある授業は1000点全てをかけて受講しようとする学生が殺到し、かたや不人気な授業は0点でも(ビッドしなくても)受講できました。

ですので教授陣も毎回の授業は真剣そのもので、もの凄い熱量で、学生にちゃんと伝わる授業をしようとされていましたよ。
クビにならないからですねぇ、わかりづらくても

ご参考
https://newspicks.com/news/2996435?ref=user_1506052
大学教授は、説明が下手くそでもクビにならないからです。

大学での教育力を高めるためには、双六の上がりにあぐらをかいている教授たちに競争原理を導入する必要があります。
厳しい指摘ですね。ただ大学教員も改善努力を怠っているわけではありません。手前のは専門職大学院ですし、目の肥えた社会人学生の要求に応える必要がありますし。

我々のばあいは講究を除くすべての講義に対して講義アンケートによる逆評価が行われ、年2回のFR/FDで相互比較し改善協議を行なっています。また、カリキュラム体系の見直しも定期的に実施しています。

リモート時代の昨今は、Zoom/Google ClassroomまたOCW/Moodleの諸機能を活用し、講義ノートの共有のほか録画の公開や各回の小課題を通じて、事前事後学習を充実させるよう配慮しています。人気YouTuberの語り口は大いに参考になりますね。
コミュニケーションの目的による。

専門的といったときに、例えば超弦理論のような極めて専門的な話もある。それはそもそも理解する側にも前提知識が必要だし、それがない人・それを知る意欲がない状態で誰にでも分かるように伝えるというのは無理ゲー。個人的にはテレビとかで中途半端に専門家を呼ぶのは、専門家の方にも失礼な場合も少なくないと思う。
ただ教えるという文脈においては、もちろん受け手側のモチベーションは必要だが、それを引き起こすのもちょっと分かるからもっと分かりたいという循環ではあると思う。伝え方によって信頼が高まり、教え方は変わらなくても効果は変わるというのが人間観の相互関係による現実。

また専門性を持っている人は、その専門性に対しての誠実性も求められると思う。それゆえの専門性だし、専門性を持っているから信頼される立場として意見に価値がある。だから、厳密に伝えたくなる傾向がある。
ただ誠実さの表現も色々あると思う。ざっくりと概ね政界のことを言ったうえで例外を伝えたり、例外もある中でこうだと思うというポジションをとるなど、そういう誠実性を持った分かりやすさを実現できる方は尊敬する。
人に教える、伝えるスキルは別物である。単に自身の研究成果などを伝えることではない。LEARNER Centralized Approachの視点が無ければ、一方通行の情報伝達で終わり、本当の意味での"学び"が深まらない。メタファーや置き換え、例示、What ifなど、折り混ぜ、学習者一人ひとりに考えさせることを促すことが求められると思う。学生に完全に迎合する必要はないが、NPSなど指標を意識的に取り入れ、専門家からの貴重な教えを得て、高みを目指す人を一人でも多く生み出せたらと思う…。