2021/4/19

【徹底解説】誤解されがちな「MaaSとは」

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自動車業界の100年に1度の大変革──そんな触れ込みからMaaSがバズワード化して久しい。

注目度は高まったものの、実現までには交通データの共通化、データ取得に関する不安解消といった課題が山積みだ。

MaaSの本質や課題、そこから生まれる未来都市の姿とは。

NewsPicksの“MaaSの顔”とも呼ぶべき、MaaS Tech Japan代表取締役CEOの日高洋祐氏と、都市工学が専門でありながら、個人データ活用にも詳しいボストン コンサルティング グループ(BCG)パートナー&アソシエイト・ディレクターの葉村真樹氏との対談から探る。

MaaSの目的は、移動の効率化にあらず

──近年、「MaaS(Mobility as a Service)」を耳にすることが格段に増えました。
日高 トヨタさんのおかげですね。豊田章男社長がCES2018で「トヨタを自動車製造メーカーからモビリティ・カンパニーへと変革する」と宣言し、MaaSに言及したことは大きかった。
 その後、「ウーブン・シティ」構想の発表をはじめ、MaaS関連のトピックが立て続けにあり、一気にバズワード化した感があります。
──改めて、MaaSとは何かを教えていただけますか。
日高 そもそもMaaSとは、鉄道やバスからカーシェアリングやシェアサイクルといった、あらゆる交通手段をデータで統合し、「1つのサービス」として人々の移動を支援する概念です。
日高 ただし、交通サービスをシームレスにつなぐこと自体がMaaSの目的ではありません
 まずは、これまで独立していた「ユーザー」「交通事業者」「目的地」のデータをつなぎ、混雑や観光など、交通にある課題を可視化して解消に導く。
 その先に、持続可能な社会に向け、まったく新しい価値観やライフスタイルの創出を目指しているのです。
葉村 MaaSは、最短・最安の効率的な移動が目的だと思われているフシがありますが、もっと大きな概念ですよね。
葉村 よく「コロナ禍で通勤が不要になったら、MaaSも必要ないのでは?」と聞かれますが、むしろその必要性は高くなると思っています。コロナ禍で移動のニーズはいっそう多様化しているんですから
 感染リスクを最小限に抑えるために混雑していないルートや、風を感じながら歩ける景色のいいルートで移動したいこともあるでしょう。
 あるいは、移動しながらでもリモート会議に参加しやすいルートが知りたいときだってあるはずです。
日高 そうした多様なニーズに応え、移動の新たな価値を生み出すことこそが、MaaSの本質ですね。
日高 例えば、これまで固定だった鉄道やバスの運賃を流動的にする。そうすれば、「この時間帯を割引に」「この商店街で買い物をしたら運賃が補助される」といった対応が可能になります。
 MaaSが目指すのは、多様なモビリティが競合するのではなく、棲み分けて連携する世界。インターネットのように広くつながるほど、提供できる価値が大きくなっていくのです。

“個人の都市”にMaaSは不可欠

──葉村さんは、専門領域である都市設計の観点からMaaSをどのように捉えていますか?
葉村 私は東京都市大学では都市のDX──アーバン・デジタルトランスフォーメーション(UDX)を提唱して、さまざまな産学官共同研究を推進しています。
 データを活用しつつ、人間中心で都市を再設計することで、あらゆる物事を根本から変革することをUDXと定義しているのですが、MaaSはこのUDXにおいて大きな役割を果たすと考えます。
──人間中心の都市とは、どういうことでしょうか?
葉村 建築家の故・黒川紀章氏は、自身の提唱した「都市発展の5段階」のうち、現代の都市は第4段階の「法人の都市」であると言いました。
葉村 「法人の都市」は産業革命以後、効率的な経済のドライブに主眼を置き、人と金と情報を集中させた都市です。企業中心ですから、人間目線で見ると実は不都合が多い。
 満員電車で都心まで通勤(痛勤)させるのは、まさにその筆頭。環境や生態系の破壊も、結局は人間の存在を脅かします。
 だから黒川氏は、人間が中心となり、個々人の幸せを追求する「個人の都市」こそが、未来のあるべき都市の姿だと位置付けました。
葉村 まさに今、IoTやAIといったテクノロジーの進化に加え、このコロナ禍が、人間の暮らしが中心となる都市構造への変化を後押ししています。
 リモートワークが普及し、満員電車でオフィスに通う必要も、オフィスに近いからと狭い住宅に住む必要もなくなった。企業ではなく、個人の幸せを追求する形に都市は再編されていくでしょう。
日高 その「個人の都市」での多様化した移動を支えるのがMaaSですね。
葉村 欠かせない要素だと思います。
 最終的には、交通サービスを対象としたMaaSを軸に、都市のあらゆるサービスをつないだ「CaaS(City as a Service)」へのパラダイムシフトが起こり、都市全体が人間の生活をサポートする世界になると考えています。
日高 都市にとって副次的な存在である交通は、新たな都市の形にフィットしていかねばならない。
 MaaS自体で何かを目指すよりも、絶えず変化する都市の要請に応じて、交通を柔軟に変化できる状態にするのが、インフラとしてのMaaSの理想形だと思います。
──社会実装は進んでいますか?
日高 先行事例として有名なのはフィンランドのヘルシンキで政府が主導するプロジェクトですね。
 日本でも政府がMaaS推進を掲げた取り組みを始めており、我々MaaS Tech Japanも全国各地の自治体と連携した実証事業に力を入れています。
 例えば石川県加賀市でのMaaS実証事業では、ジェンダーギャップという社会課題にアプローチしています。
──ジェンダーがMaaSのテーマに?
日高 具体的には、子どもたちの送迎による経済損失ですね。
 地方の雇用って男性が10とすると、女性は6〜8割程度しかないと聞きます。
 なぜなら、仕事を持っていると子どもの塾や習い事への送迎ができない。お子さんが小学生になる頃には、母親が仕事を辞めて主婦となり、家事の一部としてドライバー業を担うんです。
 それらの子どもや高齢の親御さんの送迎を、予約配車といったMaaSがカバーすることで、ジェンダーギャップの解消につながるのではないかと考えています。
 若年女性の離職率や減少率を抑えられれば、消滅可能性都市(※)に選ばれるような自治体の活力も上がると期待されています。
 ※2010年〜2040年の間に、20~39歳の女性人口が5割以下に減少すると推計される自治体。全国の市区町村の約半数が該当する
葉村 なるほど。今私もBCGで、国のEBPM(※)推進に向けた取り組みに関わるプロジェクトを支援しているのですが、あらゆるデータがつながれば、予想外の効果が生まれるかもしれませんね。
 ※Evidence-based Policy Making、エビデンスに基づく政策立案
日高 エストニアのMaaSはその好例かもしれません。リーマンショック後の景気回復を目的に、2013年に首都タリンで、市民の公共交通機関の無料化に踏み切ったんです。
 人々が交通費を節約しようと外出を控え、消費が落ち込み、人々が職を失うという悪循環が生まれていたなか、無料化は消費や雇用の回復をもたらしました。自家用車の利用が減ったことで、二酸化炭素排出削減にも役立っています。
 こういった施策は、データがつながればこそ可能となる。データに基づく企画や評価の仕組みなくして、交通の課題解決やアップデートは実現できないと考えています。

バラバラな交通データの共通化がカギ

──日本がMaaSを社会実装するまでには、どんなハードルがありますか?
日高 まず取り組むべきは、交通データの共通化です。
 例えば「東京駅」の駅名一つとっても、JRと東京メトロでは表現が異なります。「東京(JR)」や「東京(丸の内)」といった記載も、駅ごとのIDもバラバラです。普通列車・快速・特別快速・特急などの種別も、各社が独自に定義している。
 日本の公共交通網は非常に複雑で高度化していますから、経路検索サービスを提供している企業もデータをつなぐ点では非常に苦労しています。
葉村 各社のオペレーションに最適化した独自言語を変換して共通言語にする“辞書”が必要なんですね。
日高 おっしゃるとおりです。それができれば、MaaSやスマートシティ関連のビジネスで、日本は世界市場を取れる可能性もあります。
日高 2018年11月にMaaS Tech Japanを立ち上げて以来、長らくMaaSの“布教活動”をしてきました。今はMaaSが価値を生み出していくフェーズに入っています。
 価値創出の源泉となるのが、我々が開発・提供する2つのソリューションです。
 交通事業者のデータをはじめ、あらゆる交通関連データをつなぐ“辞書”となり、膨大なデータをリアルタイムで結びつけるデータ統合基盤と、そのデータを活用して意思決定を支援するMaaSコントローラーです。
──交通関連データがつながると、どういった効果があるのでしょうか?
日高 よりリアルタイムかつパーソナルに、複数の交通機関を連携できます。つまり、「マルチモーダル」な移動サービスが提供できるようになる。都市計画や交通計画も、ファクトに基づいてもっとダイナミックに動かせます。
 例えばユーザーに対しては、交通状況を踏まえたルート案内や遅延・混雑のパーソナルな通知、予測データを踏まえた提案などが行えるようになります。
 実際の運行や利用状況のデータ活用によって、交通事業者や自治体は、交通計画の立案や新サービスの企画ができるようになります。Webの世界では一般的なデータに基づく施策の検討や評価が、リアルフィールドを持つ交通の分野でも当たり前になるのです。
 MaaS Tech Japanは自治体と連携しながら、エリア内の既存の交通や新しいモビリティサービスのデータを統合し、新たな交通施策を企画・評価する取り組みを進めています。
 これから私たちのMaaSデータ統合基盤の範囲が広がり、小売や不動産、金融、医療といった異業種サービスとも接続できれば、さらに大きな価値が生まれると思います。
 最終的には、交通事業者やエンジニアでなくとも、交通データを使って新しいビジネスをつくれる状態にしたい。そのために、データ基盤を堅牢なインフラにしていく必要があります。
葉村 今、日高さんたちが取り組んでいるデータの共通化は、非常に地道な、根気を要する仕事ですね。
 率直に言うと誰もやりたがらない、収益にもつながりにくい部分だと思うんです。でも、その土台づくりをする人がいなければMaaSは先に進まない。その志に感服します。
日高 ありがとうございます。我々も早くサービスづくりやまちづくりといった付加価値をつくる段階に進みたい。ならば、自分たちがやるしかないだろう、と。
 扱える交通データの種類が多いほど、ビジネスが飛躍する。今は、その種まきなのだと思っています。

データの先にいる“人”に目を向ける

──データ取得に対する個人の心理的バリアも課題かと思います。
葉村 世界中が注目していたグーグル系列のサイドウォーク・ラボ(SL社)の未来都市プロジェクトが、2020年5月に中止となりました。
 SL社はコロナ禍での経済状況の変化を理由としていますが、一部メディアでも報道されているように、企業がデータを持つことに対して、住民の心理的抵抗が相当強かったようです。
 実は以前に、このプロジェクトのデータ領域に携わった方々にインタビューさせていただいたことがあるんです。そこでは、自らデータトラスト(※)を提案するなど、SL社はデータ管理に関して真摯に対応していたとの評価が多数でした。
※データを保有する個人や組織に代わって、データやその権利を管理する機関や仕組み
 しかし、その提案がなされたのはプロジェクトがかなり進行してからだったので、住民との信頼が醸成されず、むしろ不信感を煽ってしまった、という声もありました。
 その他にも住民の不信感の背景には、開発エリア外までデータを取得されることもあったようです。たしかにそのほうがより良いサービスにはなりますが、「このデータが必要である」という明確な理由がないと理解は得にくい。
日高 サービスが求められていなければ、実装は難しいとは我々も感じています。
 まず住民の「課題を解決したい」という思いから出発して、実現のためにデータをお預かりします、という順序を踏むことが大事です。
 MaaSには人や事業者が密接に関わってきます。仕組みの構築は淡々と進めながらも、“人”を見ることをおろそかにしてはいけませんね。
葉村 幸い近年は、データの利活用がユーザーに心地よい体験を提供する方向へと変わりつつあると感じます。
 すでに商品を購入したにもかかわらず、リターゲティング広告で追い回されるのは、誰しも嫌なものです。儲かるからと、エゴイスティックに不快な体験を提供し続けてきたことを事業者側が認識し、データの取り扱いに関して自制心を持ち始めている
 その好例が、アップルやグーグルのサードパーティーCookie規制の動きです。データ活用が欠かせないMaaSやスマートシティの実現にとって望ましい軌道修正でしょう。
日高 コロナ禍を境に、DXの認知は進みましたよね。マスク在庫の可視化と適正配布に成功した台湾などの好例のおかげで、DXによる恩恵が自然と理解されるようになった。
葉村 そうですね。今後50年で、完全自動運転の実現、自動車販売台数の激減といった変化が起こるのはほぼ確実です。
 移動にもAirbnbのような“個人の嗜好に合わせたシェアリング”が広まると、使えば使うほどレコメンドの精度が上がり、快適に移動できるようになる。それならば、ユーザーが自ずとデータを提供したいと思うはずです。
 データがリアルを心地よくすることがもっと理解されれば、MaaSも一気に広がるのではないでしょうか。

日本のMaaSが、世界の“処方薬”に?

──MaaSが進み、移動が快適になると、どのような社会になるのでしょうか。
日高 街に個性が生まれていくと思います。
 DXが進み、たいていのことはオンラインで完結するようになりました。でも家に居続けることが私たちが待ち望んだユートピアかというと、そうじゃない。
 わざわざリアルで移動するからには、場所の特性が今まで以上に重視されるでしょう。均質化した“金太郎飴”的な街は選ばれなくなり、衰退していく。
葉村 これからのまちづくりで重要なのが、“マスを意識しないこと”です。「多くの人に選ばれよう」とするほど、駅前に大手チェーン店が並び、効率的ではあるけど、差別化できない。
 それぞれの街が個性や魅力を打ち出し、人々が集い、交わる。生き生きした人間中心のコミュニティ社会に回帰するのでは、という期待を持っています。
──楽しみですね。MaaS Tech Japanとしての展望もお聞かせください。
日高 MaaS領域でできることをやり切る。それに尽きます。
 先人たちが築き上げた高度な公共交通インフラは日本の財産です。我々の使命はそのインフラの上に、デジタルのインフラをつくること。
 そこまでやり切ればMaaSの社会実装、スマートシティの実現も視野に入ってきます。
葉村 現状のような「法人の都市」であることによって生じている“負”はたくさんあります。それを極力なくしていくのがMaaSと、その先にあるUDXの理想像です。
 MaaSやUDXは人間が人間らしく生き、この地球上で他の生物とともに存続していくために不可欠な概念だと思います。
日高 今、少子高齢化と人口減少という大きな課題を同時に背負っているのは世界でも日本だけです。
 今後同じ課題に直面するといわれる韓国、中国、インドといった世界中の国々が、そのソリューションを待っている。
 日本のMaaSがその“処方薬”となり、次世代の日本を代表する産業となる。そんな未来も夢ではないと思います。