ピカソ「ゲルニカ」国連離れる=ロックフェラー一族に返却
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『暗幕のゲルニカ』の元ネタとなったピカソ《ゲルニカ》のタペストリー。タペストリーに仕立てたのはジャクリーヌ・ドゥ・ラ・ボーム=デュルバックという夫婦。世界には3点あって、あとはフランスと群馬にあります。
この夫婦、1958年には《アヴィニョンの娘たち》のタペストリーも作成していて、ピカソはそれを晩年のアトリエに架けていました。つまりピカソにとって《娘たち》は生涯つきまとう絵画であり、晩年作にも大きな影響を与えていると思います。
実は、このタペストリー作家についてよくわかっていないことだらけだったのですが、数年前にパリのピカソ美術館行ったら《娘たち》タペストリーが展示されていて、いくつか情報が掘り起こされているようでした。
おそらく同じタペストリーがいまマラガのピカソ美術館に展示されているそうで、関連する記事(Pepe Karmelへのインタビューもあり)がウェブの記事になっていました。https://www.francetoday.com/culture/art_and_design/les-demoiselles-davignon-jacqueline-durrbachs-translation-on-tapestry/
有意義な記事だなあ。
それにしても《ゲルニカ》が離れるとは、不穏な空気の予兆なのか、価値観の転換なのか。いずれにしても気になります。過去にすったもんだのあった国連のゲルニカのタペストリー。
小説家、原田マハさんの「暗幕のゲルニカ」は何度読んでもおもしろいですよね。
ピカソの本物のゲルニカは何としてもこの目で見ないと♪と思い、一昨年の夏、スペインはバスク地方の州都ビトリアガスティスで開催されたアイアンマンのレースに出場。
翌日にマドリードのソフィア王妃芸術センターへ行く計画を立てていたんですね。ところが、レース翌日はあまりに疲労困憊で酷暑のマドリードまで何時間もかけて行く余力が残っていなく敢えなく断念。
結局、その日はスペインのワインの名門リオハのワイナリーへ車を飛ばして行くことに。
元来の「花より団子」のキャラが炸裂しちゃいました笑スペイン、バスク州、バスク地方。1994年に、大学時分のベストフレンドの実家にお邪魔した時に彼のお父さんのドライブで連れて行ってもらいました。
スペイン内戦中の1937年4月26日に、フランシスコ・フランコらの反乱軍による北方作戦の一環としてゲルニカ爆撃が行われ、米英仏から反乱軍への非難が巻き起こり、ピカソはバスクナショナリスト、アナーキストの反抗と捏造された謀略宣伝に憤怒を込めて描き上げた作品と聞きました。
またバスク地方に伺いたいです。スペインは北に行けば行くほどご飯が美味しいとの噂ですから。なんかテンプラニーニョの赤が飲みたくなってきました。