「脱成長コミュニズム」社会へ、危機の瞬間のチャンス到来
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資本主義なのか社会主義なのかという議論はもう意味ないと思うんだよ。結局、ソ連で起きたことは結果としてみれば資本主義と同じ格差社会だったわけで、資本主義の中において、欲望主義と倫理主義という両極しかないという二項対立こそ危険で、時と場合で使い分ければいい。「利己的損得」と「他者への思いやり」は決して相反するものではない。そもそもそれが経済(経世済民)だからね。
重要なのは、資本主義がどれだけ持続可能なものに近づいていったとしても、結局我々は潤沢な生活を享受できないということです。資本主義が絶えずいろいろなかたちで欠乏感をつくり出すからです。その欠乏というのは、例えば、絶えず新しいスマホを持ちたいというような気持ちです。希少性というのが絶えず組み込まれているのが資本主義です。そういう商品が次々と出てくるので、お金が必要になって、人々の労働時間も増えていく。
これだけ生産力が上がっていても、我々は40時間以上働かなくてはならない。逆に、余暇や家族との時間や自分に使う時間は減っていて、希少なものになっています。働くこと以外に人生の意味はいっぱいあるはずですが、それ以外の豊かさや、幸せのためのトレーニングや教養、趣味の時間もすべて、希少なものになっています。