2021/1/12

【鈴木啓太】過酷な世界で生き残り、組織で必要とされる人材とは

NewsPicks エディター
元サッカー日本代表の鈴木啓太氏が立ち上げた、アスリートの腸内細菌を研究するバイオベンチャー「AuB」が企業から熱視線を浴びている。
2019年9月には、大正製薬と三菱UFJキャピタル、個人投資家から総額約3億円の資金調達に成功。2020には、読売ジャイアンツとの選手の栄養サポート分野での取り組み、京セラらとの共同研究をスタートさせている。
サッカー界からビジネスの世界に飛び込み、創業から5年。ゼロから切り開いてきた道のりを支えた、その熱源とは。(全7回)

内舘秀樹さんにプロのすごさ体感

プロ入り後も、衝撃を受けた選手を挙げるとなれば、中村俊輔さんや遠藤保仁さんなどキリがありません。ただ、「プロはこれぐらいやれなければいけない」と最初に体感させられたのは内舘秀樹さんでした。
内舘秀樹選手(写真:アフロスポーツ)
内館さんは13年間にわたって浦和レッズ一筋でプレーし、キャプテンも務めた選手。しかし、実のところ、私は浦和レッズに入る前までは内舘さんのことを知りませんでした。
ところが、プロになって初めてのキャンプで衝撃を受けます。今でも鮮明に覚えているのが、内舘さんと一緒にボール回しをしたときのことでした。
「年上の選手に負けたくない」という一心で、若かった私がボールを取りに行こうとした瞬間、内館さんに一つのトラップで状況を変えられてしまいました。
体をぶつけてボールを取ろうにも、体もぶつけられない。
「これぐらいやれなければいけないのか」
プロのすごさと厳しさを、まざまざと感じさせられた瞬間です。

私が生き残れた理由

そんなプロの世界で、なぜ私が生き残れたか。それは、チームにとって必要な選手になったからではないか、と自分では考えています。
私はサッカーがうまくありません。これは事実です。ただ、チームを勝たせるためにはうまい必要はなかったりします。
鈴木啓太(すずき・けいた)/AuB 代表、元サッカー日本代表
1981年7月静岡県生まれ。東海大翔洋高校卒業後、2000年にJリーグの浦和レッドダイヤモンズに加入。2009年からの3年間キャプテンを務め、2016年1月の現役引退まで所属する。2006年に日本代表に初選出され、イビチャ・オシム監督体制下では全試合に先発出場。2015年10月にアスリートの腸を研究するAuB(オーブ)を設立し、現役引退後に代表取締役に就任した。現在は同社で、腸内細菌解析事業やコンディショニングサポート事業、バイオマーカー開発事業、腸内細菌関連製品の開発事業を手掛けている。
もちろん、うまい方がより楽しくプレーできるかもしれません。けれど、うまくなければサッカーができないわけでもなく、チームのためにならないわけでもでない。
選手によっては、ボールを持っているときに輝く選手も、ボールを持っていないときに輝く選手もいる。そして、ベンチで輝く選手もいます。
チームでは選手たちはもちろん、監督もスタッフも含めて全員が勝利に向かって仕事ができることが重要で、そこに役割がある人間は残り、なければ別のチームに移ることになります。

常に心がけていたこと