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145年前に業務を開始した場所の近くに戻った気象庁 気象観測への影響は(饒村曜)

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    フリーライター サイエンスライター・気象予報士

    感慨深い気象庁の歴史です。新庁舎の中にある気象科学館にも、移転の歴史が表示されています。意外と転々としているんですよね。一時期は皇居の中にあったこともあり、その地図がまた面白いんです。これも気象科学館で見られます。


  • 国内航空会社 気象予報士

    今回の移転は、すでに15年ほど前から動き始めた大手町の区画整理事業の一環で行われました。大手町という一等地にある合同庁舎や気象庁など官公庁の土地を、民間に払い下げて国有資産の有効活用を図ろうというものです。例えば現在の日経新聞社や経団連の入るビルは合同庁舎1・2号館の跡地に建設されていますし、そうして空いた土地にできたのが星のや東京です。気象庁の跡地は何にされるのかはまだ発表されていませんが、立地から考えて高層商業ビルということで間違いないでしょう。竹橋周辺に気象台があった、という意味では1923年からおよそ100年の歴史でした。

    一方で移転先の虎ノ門はといえば、1991年に廃校された港区立鞆絵(ともえ)小学校の跡地に開発された高層ビルになります。小学校跡地の再開発にちょうど相乗りさせてもらった形ということもあり、気象庁は港区立教育センターと同じビルに同居している形になっています。それが奇しくも明治に初めて気象台ができた場所(現在のホテルオークラ)の目と鼻の先であったということになります。
    ホテルオークラも昨年に建て替えが完了しており、虎ノ門一体の再開発が進んで新たな街ができつつあるのには、ようやく昭和末期のバブルの余韻が消えつつあるという実感もいたします。

    気象観測についていえば、すでに先行して2014年から北の丸公園に移動しており、大手町と比較して最高気温はほぼ差はないものの、最低気温が低くなりやすいなどの特徴はありますが、連続した観測データとして大きな支障はないとされています。北の丸公園ならば今後数十年は似たような観測環境が維持されると期待できますので、引き続き東京を代表する気象観測点としての役割を果たしてくれるものと思います。


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