2020/11/25

改札なしで事後発券。スイス発モビリティ決済スタートアップ

モビリティライター
スイスがイノベーションのハブになる――。
そんな宣言をしているのをご存じだろうか?
正直なところ、日本人にとってのスイス観は、ハイジが登場するアニメの影響もあって、のどかな印象だ。かくなる筆者も初めてスイスを訪れた際には、登山列車に乗ってモンブランを望む景色を堪能したのだから、日本人の類にもれない。
iStock/svanaerschot
そんな牧歌的なイメージとは裏腹に、実はスイスから数々の先進的なテクノロジーが生まれている。
例えば、1855年に創立されたスイス連邦工科大学チューリヒ校はアインシュタインやヴィルヘルム・レントゲンといった著名な科学者の出身校としても知られており、これまでに21人ものノーベル賞受賞者を輩出している。
産学交流の歴史も古く、IBMチューリッヒ研究所などは60年以上にわたる歴史を持つ。最近では、バイオ分野を牽引する研究も数多く発表されている。
とはいえ、今なぜ、スイスがイノベーションのハブとしての役割を担おうとしているのだろうか?

多言語を扱う人材、世界屈指の研究機関

正直、人件費や物価は、欧州でもずば抜けて高い。しかしながら、ドイツ、フランス、イタリアと国境を接しており、多言語を扱う人材に恵まれている。
世界屈指の研究機関がそろっており、前述のスイス連邦工科大学チューリヒ校と姉妹校のローザンヌ校に加えて、ポール・シェラー研究所、スイス連邦材料試験研究所、バーゼル大学、ベルン大学、ジュネーブ大学...と枚挙にいとまがない。
さらに、国内5カ所にサイエンスパークを設置しており、地元企業やスタートアップに加えて、海外からも企業を誘致して、国を挙げて産学連携を促して、イノベーションを推進している。

最低価格で事後に発券

モビリティに関しても、注目すべきスタートアップ企業が散見される。今回ご紹介するFAIRTIQ(フェアティック)は車載決済システムのスタートアップだ。
前回取り上げたWayRayのようなモビリティそのものに搭載する技術はもちろん注目すべきだが、決済システムの開発は、「モビリティ関連APIエコノミー」が加速する可能性を秘めている。
「モビリティ関連APIエコノミー 」とは、平たく言うと、いわゆるMaaSアプリである。
すでに、スイス鉄道は「SBBモバイル」という名称で提供しており、スマホにこのアプリをインストールしておけば、切符を発券せずに交通サービスにアクセスできる。いわばモバイルSuicaのようなものだ。
画期的なポイントは、利用した交通サービスをアプリで検知して、最低価格で事後に発券するサービス「Easy Ride」が搭載されている点だ。

ハードウエアへの投資不要

このSBBモバイルの決済を支えているのがFAIRTIQのシステムだ。
FAIRTIQは位置情報や加速度センサーといったスマホでわかる情報から、どの交通機関を利用したかアルゴリズムで推定する。
具体的には、駅やバス停ごとに停止すれば、その交通機関を利用したとみなされるし、そうでない場合はクルマで移動したと推定されるワケだ。
利用者は、交通機関を使う際にチェックインして、使用し終わったらチェックアウトするだけ。交通機関を使ったあとに、経路と料金がスマホに提示されて、利用者が承諾すると、事前登録したクレジットカードで支払いができる。
もちろん、請求書も電子化されており、メールで自動送付される。モバイルSuicaと異なり、交通事業者が改札機のようなハードウエアへ投資する必要がなく、デジタル化に伴う追加のコストが抑えられるというメリットがある。
もちろん、利用者にとっても、交通機関ごとにいくつものカードを申請したり、スマホに登録する手間も不要になる。

外国人にはチケット購入が難関

もともと、スイスでは改札がなく、事前に窓口か自動販売機でチケットを購入するのだが、実はこれ、外国人にとっては相当な難関だ。
時間帯や乗車人数などによって、料金が細分化されている上に、窓口が少ない駅では長蛇の列に並ぶハメになることも少なくない。
だから、FAIRTIQは旅行者にとっては画期的な仕組みだ。もちろん、地元の人にとっても、休日に遠出するなどの際に、ワンデーパスやグループ料金、時間帯変動価格を利用して個別決済より安価に利用でき、出張精算にも対応している。
改札のある国であれば、QRコードと組み合わせて改札に対応することも可能という。

創業者はスイス鉄道OB

FAIRTIQの創業者であるカースティン・シュレイアー氏は、スイス鉄道のOBであり、スイスの交通網の料金の複雑さをよく知る人物だ。だからこそ、こうした事後発券および決済の仕組みを開発しようと、一念発起したのだろう。
モバイルSuicaのような事例と比べて、ハードウエア投資が抑えられる仕組みを選択したの鉄道会社OBらしい発想だ。
FAIRTEQのCEO、カースティン・シュレイアー氏(写真提供:FAIRTEQ)
MaaSアプリでは、1.決済システムが搭載されている、2.移動プランナーとしての機能を持つ、3.ハードウエアの投資が抑えられるといったことが重視されるのだが、FAIRTEQではそれらの要素が整っていると言っていいだろう。

ドイツでも実証試験開始

実際、こうしたMaaSアプリ先進国であるドイツでも、FAIRTEQの実証試験がスタートしている。2020年10月にミュンヘン交通局がFAIRTEQの技術を活用して、実証試験を開始した。
同局の発表によれば、コロナウイルスの感染拡大は、乗客の行動に大きな影響を及ぼしており、より柔軟な移動を求める声があがっているという。
加えて、カーシェアリングやeスクーターなどの代替手段の人気が高まっていることを受けて、そろそろ公共交通機関も思い切ったデジタル化に打って出る!という方針を打ち出している。
「バイエルン州は、このような革新的なプロジェクトを支援できることをうれしく思っています。デジタル化を進めることにより、公共交通機関が魅力的な選択肢になり得ます。このプロジェクトでは、バイエルン州の公共交通ネットワーク全体に、発券の電子化を推進することを通して、州内の移動に画期的な変化をもたらすことも期待しています」と、バイエルン州の運輸大臣を務めるカースティン・シュレイアー氏は語る。
モビリティでも、スイスがイノベーションのハブになる。まさにそんな時代がやってきそうだ。