気象庁に問いたい。動物季節観測の完全廃止は、気象業務法の精神に反するのではないだろうか(森田正光)
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私も森田さんと同様に危惧しています。生物季節観測はとても大切です。たとえば、一昔前なら関東地方の夏はミンミンゼミでしたが、近年は関西地方にいたクマゼミが進出しています。このような気候変動の影響も生物季節観測によってわかるのです。
話は変わりますが、私はたまに横浜地方気象台に行きます(現在は新型コロナウィルスのため見学できませんが、本来は一般公開されています)。庭には観測機器だけでなく、花の咲く木も植えられていて、とても和みます。この木々は人を癒すためだけに植えられているわけではなく、「○○の花が開花」と発表するための、生物季節観測用のものなんです。それを考えるにつけても実に残念な知らせです。都市化の進行により、もはや動物季節観測に意味があるのかどうかという点について検討すべき点があるのは確かです。ただし、観測環境の変化とともに同様のデータをとり続けるということに意味があるので、仮にどこかの時点でえいやと打ち切ってしまうと、後世の人々にとって比較可能なデータは得られなくなってしまうという不利益があります。
現に観測データを得られなくなったことによる不利益は、たとえば台風の直接観測にも出ており、1987年まで米軍により続けられた西太平洋での台風の直接観測は現在はなくなり、洋上における台風の勢力はほとんど衛星画像からの推定データに頼るようになってしまいました。この推定データは実用上は問題ないと言えるレベルではありますが、やはり研究ベースで台風の正確な勢力を知るには直接観測のデータが必要だという意見で研究者は一致しています。
仮に動物季節観測についても数百年のスパンで比較可能なデータが必要だとなったときに、せっかく20世紀後半からとり始めていたデータが、21世紀前半であっさり打ち切られたとなったら、後世の人々はどのような評価を我々に下すのでしょうか。予算の切りつめ、人員削減の折仕方ないと評価するのでしょうか。それとも、ほかに代替手段があるのにも関わらずあっさり廃止したと論じられるのでしょうか。ウグイスなどが、温暖化などによってむしろ遅く鳴くようになっている、など、言われてみないと気づかなかったような話が多くて面白い。
単純に温度など気象装置からもたらされる変数を追うだけでは、動物の行動がなぜ変化しているのか、原因が掴めないということなのかな。
むしろ、もっと予算を厚く付けて多くの人の目でつぶさに動物の変化を観測することをしないと、複雑な変化とその要因の関係は見いだせないのではないか。
単純に機械に頼ったログや観察をするというのだけでなく、大学などのアカデミックな人材と連携して「研究」の方向に深めるということが出来るとよいのだろうけど。
逆に言えば、「ニーズ」はそれを始めないと見えてこないようにも思える。