2020/11/9

経済損失額21.5億。「構造資産」の有無で分かれる企業の将来性

編集ライター (NewsPicks Brand Design 特約エディター)
 今、にわかに注目を集める経営手法がある。欧州、ドイツなどに端を発し、近年、経済産業省が推奨する「知的資産経営」だ。
 知的資産とは、すでに企業が保有している強みであり、人材や人脈、ノウハウ、技術、伝統など財務諸表には表れにくい資産のこと。これら知的資産を可視化して蓄積・活用することで、着実に収益につなげる経営が実現する。
 知的資産を蓄積するには、市場や顧客などのステークホルダーを指標に、何が選ばれる理由になっているのかを数値化できるKPIに変換する必要がある。
 グローバル化やIT化が進み、単純なコスト競争や納期の早さだけでは立ち行かなくなっている、昨今の日本企業。
 消費者の価値観や生活様式の変化によるビジネスモデルの短命化、少子高齢化による労働力人口減少など、さまざまな要因が絡み合い、数年前からビジネスモデルの変革やDXなどが叫ばれてきた。
 そこに突如襲いかかったのが、新型コロナウイルスだ。変化せざるを得ない状況の中、見直され始めているのが「知的資産経営」である。
 コロナ禍でのビジネスのオンラインシフトにより、知的資産を数値化して管理・活用できていなかった企業は、危機的状況に陥っている現状がある。
 Sansan社の「企業の商談・人脈・顧客データに関する意識・実態調査」(2020年)によれば、コロナ禍において、以下のような実態がみられる。
 さらに衝撃なのは、オンラインシフトによって名刺交換が激減したことで、100名規模の企業の平均経済損失額は年間約21.5億円と推定されていることだ。
 無形の知的資産、特に顧客データの蓄積・管理・活用ができるかどうかが、今後の生き残りを左右するといっても過言ではないのだ。
 そこで、激変する社会における企業の顧客データ管理や今後の経営のあり方について、長年アメリカン・エキスプレスで経営者として国内外の商品開発やマーケティング、広告宣伝、営業など幅広い領域を指揮し、シンガポールのカントリーマネージャーも務めた、事業構想大学院大学客員教授の中島好美氏に解説していただいた。

“悪くなる見通し”ではなく“死活問題”

──数年前から顧客ニーズの変化によるビジネスモデル変革やDX化が叫ばれるも、なかなか変化できなかったのが、コロナによって半ば強制的に社会は変わりました。この現状を中島さんはどう見ていますか?
 今までの当たり前が全部崩れ、名刺交換や飛び込み営業などが難しくなり、失ったものの大切さがわかったのが今だと思います。
 商談や会議はオンラインが当たり前になりましたが、大人数が参加する新規の商談の場合、名前を覚えられても1人か2人。最初に挨拶をした“先方の部長さん”なんて、最初に忘れていきますよね。
 オンラインだと画面の位置がかわるので、顔と名前、特徴が覚えにくいという声も聞きます。それに、後からフォローをしようにも、全員のメールアドレスがわからないときもあり、とフロントに立つ人としかやり取りができません。
 さらに、今までのように近くに来たから立ち寄るということや、感情に訴えかけるような手法も使えないため、このままでは新規商談はますます難しくなるでしょう。
 私はこの状況にもっと危機感を持つべきだと思っています。
「新規商談が減少した企業の6割以上が、今後の業績見通しは悪くなる」と回答した調査結果がありますが、新規商談が減少すると、悪くなるどころか倒産の可能性もあります。
 この先も顧客と会えない状況が変わらず新規ビジネスが減り続け、自分たちも出社しないのがスタンダードになるのであれば、現状に対応した方法を早急に開拓する必要があります。
 これは“悪くなる見通し”とは言っていられない“死活問題”です。
「コロナでみんな大変だから」「うちだけじゃないから」と安心していたら、日本全体で共倒れになる可能性すらあります。経営者だけではなく、事業に携わる全員が、この現実から目をそらしてはいけないと思っています。

同調圧力がマネジメントと現場のギャップを生む

──厳しい現状に置かれた日本企業の変革は進んでいるとはいえ、グローバルに比べるとデータ化が遅れている理由に、日本と海外の文化の違いは影響していると思いますか?
 外資系の数字に厳しい企業は「業績が伸びるのは当たり前」だと考えているので、伸びない原因を探すのではなく、違うやり方にすぐに舵を切ります。
 ジョブ型雇用だから適材適所で組織変革も早いですし、停滞する事業に見切りをつけて次に行くスピードも速いわけです。
 一方で、メンバーシップ型の日本企業の多くは雇用を守りたい、創業からの事業や商品を守りたいと考える保守傾向があります。いま、DXやコロナ禍の大きな変化に対する柔軟性の差が如実に出てきていますよね。
 もちろん、それとは対極にあるようなベンチャー企業や、柔軟性の高い日本企業はたくさんあるので一概には言えませんが。
──顧客データ管理・活用に関しても、マネジメントと現場が乖離していることを表す調査結果が出ています。
 この根底にあるのは、多くの日本企業が持つ強すぎる同調圧力です。
 まわりと同じことをすることを是とする環境で育ってきた日本人は、同調圧力の外し方がわからないし、周りと違うことをしたら「変わった人だ」と言われるから避けがちですよね。
 たとえば、会議中は部長の意見に賛成していたのに、終わった後に「部長はわかってないよね」と陰でコソコソと言うケースはよくあると思います。
 健全なコンフリクトを恐れて自分の意見をその場で言えないのは、みんな黙っているし自分だけが人と違うと思われたくない気持ちが勝っている証拠ですし、マネジメントと現場が乖離する一因です。
 とはいえ、同調圧力は国民性なので、マイナスではなくプラスに働くようコントロールするのが大事だと思っています。

未来への損失は計り知れない

──コロナ禍がもたらしたオンラインシフトによる年間経済損失額は約21.5億円と推定される試算がありますが、中島さんはこれをどう捉えますか?
 新規で会えなくなった損失額は21.5億円かもしれないですが、既存のビジネスはどうでしょうか?
 既存顧客の担当者が知らないうちに異動した、会う機会が減って自分の存在を忘れられてしまった、といった場合にも損失は出ます。それだけ将来の営業のチャンスを失うわけなので、未来への損失は計り知れません。
 今打つべき手を打たないと、コロナをチャンスと捉えて成長している企業にあっという間に新規も既存も奪われてしまいます。今後ますます企業間格差は広がる傾向にあると思います。
──手が打てていない企業は、コロナだから仕方ないと思いたい、そんな心理があるのかもしれません。
 コロナだから仕方ないこともあるでしょう。でもそれは本当にコロナのせいなのか、もともとあった課題や顧客・商習慣の変化に対応できていないのが顕在化しただけなのかは見直す必要があります。
 コロナ以前からDX化してデータを蓄積していた会社や、デジタルシフトの準備ができていた会社が今伸びているのは事実。何もしなかったらコロナが収束したとしても業績が戻るとは限りません。
 なかでも私が危ないなと思っているのは、年功序列で過去の成功体験にとらわれている人たちが上層部にいる、同調圧力の強い企業。
 難しいかもしれませんが「年齢が上だから遠慮する」「若いからできない」という年齢や役職、外見などの判断軸を取っ払い、適材適所で人材を配置できるように、変わる必要があると思っています。

ザルで水をすくうのか、小さくてもお皿ですくうのか

──DX化していた企業が伸びているというお話がありましたが、顧客データに対する意識の高い企業はコロナ禍でも業績が良く、今後の見通しも良いという相関が、調査結果に出ています。
 企業は新規獲得のために投資しますが、ザルで水をすくうのか、小さなお皿でも水をすくって必ずこぼさないようにするのかでは大きな違いがあります。
つまり、ザルで水をすくう企業とは、たとえばテレビCMで「一発勝負」にかける企業。
 小さくてもお皿で水をすくう企業とは、顧客データを蓄積活用してターゲティングし、一番効率の良いプロモーションによって、売り上げを伸ばしながら顧客のLTV(ライフタイムバリュー)を構築する企業です。
 消費者がテレビや雑誌の広告を信じていたのは過去の話で、今は自分が信頼する人やその周囲の声、ネットコミュニティ、口コミなど、お金のために発信していない人の言葉や体験を信じて行動する人が大半を占めます。
 それなのに、STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)ができずザルで水をすくっていたら費用対効果の悪いマーケティング・営業活動になってしまいます。
 その結果、新規ユーザーに対してのケアはできないし、本来ならファンになってくれた人を逃すことにもつながってしまう。
 顧客の価値観が変わり、大量の情報が瞬時に拡散される世の中において、企業は誰に向かってどんなメッセージを発信するのかをもっと深く考える必要があります。
 顧客データを管理・活用してLTVを構築できないと、お金をばらまいて損をするだけになるでしょう。
──それは、BtoBのビジネスにも同じことが言えそうですね。
 その通りで、B向けでもC向けでも意思決定者を見つけて味方にしないと、いくら良い商品・サービスでも売れません。
 B向けサービスで顧客データ管理ができていない場合、担当者が異動や退職によっていなくなり、後任が一から関係構築をしないといけない状態になると、顧客が離れてしまう可能性があります。
 担当者の “引き継ぎ”は不完全で、往々にして善意と努力に委ねられ、大概はえいやの“引き継ぎ”になります。
 会社にとっての人的資産をきちんとデータ化して構造資産に蓄積し、いつでも共有されている状態にすることが命運を分けるのは、データを見ても明らかですね。

何のために顧客データを集めるのかを明確にする

──無形の人的資産で重要な項目に「顧客に関する情報」があります。でも、その情報源として名刺情報を管理する企業は多くても、ヒアリング情報なども含めた顧客データを統合管理できている企業は少ない印象があります。
 私も長年、LTVと顧客マネジメントが中核になる事業を経営してきました。
 せっかく集めた情報を何に使うかのアイデアがないから、顧客情報を集めても、管理は部署や人ごとにバラバラになっていて活用していない残念なケースも多くみてきました。
 どう活用するかによって基本データに加えて集めるべきデータは違うのに「顧客データを入力してください」という号令だけで「とりあえず」データ集めをしていたら、集めることだけが目的になってしまいますよね。
 大切なのは「顧客データを活用してこんなビジネスをすると企業価値が上がります」といったケースシナリオを作って、トップから現場までがしっかりと理解することです。
 仮に、データを活用して機会損失を減らしたいと考えるなら、新規受注ができなかった理由をデータベース上に残していく必要もあると思います。
 受注できなかったのはタイミングなのか価格なのか、それとも提案の方法が悪かったのか。次に活かすためには、成功も失敗も含めたファクトの分析が重要です。
──失注理由も含めて顧客情報と言えますね。
 みなさんは新規市場を無限のように考えがちですが、新規市場も有限です。そして、獲得を諦めるわけにはいきません。諦めずに顧客と向き合うべきです。
 獲得できていない理由に「価格がネックになっている」という傾向がでてきたら、競合分析をして価格を見直したり、付加価値をつけたりして勝つための工夫ができますからね。

保有する知的資産の評価基準は、市場や顧客

──属人的だった顧客データなどの構造資産を組織に蓄積し、知的資産経営にシフトチェンジするために大切なことは何でしょうか?
 知的資産はどの企業も持っていますが、経営資産として使うためには、何が強くて何が弱いのかを評価する必要があります。
 ここで間違ってはいけないのは、評価の基準は自分たちではなく市場や顧客だということです。
 加えて、資産や評価基準は変化し続けるので、仮に数年前に評価をしていたとしても、社会が一変した今、あらためて評価し直すとまったく違う結果になると思います。
 わかりやすい例でいうと、日本の製造業は規律正しく働く人の数に価値があって、人海戦術のものづくりによって発達しました。
 今は作業をロボットが代替できるので、ロボットを扱える人に価値があります。同じ人間でも求められるスキルとバリューは変わるのです。
 知的資産を考える時、弱いと評価された資産をどうにか強くしようと考えるのも方法ですが、今持っている強い資産に尖るのもいいと思います。それが企業の個性になるともいえます。
──知的資産経営のためには資産を評価する必要があって、評価のためには可視化が不可欠ということですね。
 そうですね。KPI文化が広まって、個人の評価を数値化する企業が増えてきました。個人の評価を数値化できるなら、他の無形資産もデータ化できるはずです。
 データをうまく利活用できる企業が評価され、生き残る時代ですから、1秒でも早く属人的な管理や人の善意に頼っていたやり方から脱却して、データ化するに越したことはありません。
 エース人材のノウハウをデータ化して蓄積して共有すれば、組織全体の底上げにつながりますし、オンラインでの新規受注と失注情報をデータ化すれば、厳しい現状から抜け出せる方法が効率的に見つけられる可能性も高いでしょう。
 知的資産経営は、今まで難しくしていたことを簡単にして成果を出すための手法であり、誤解を恐れずに言えば「楽をして勝つために必要なこと」です。
 厳しい今の環境をチャンスだと捉え、使える道具は何でも使って、未来につなげる企業が増えることを願っています。
(出典:Sansan株式会社「企業の商談・人脈・顧客データに関する意識・実態調査(2020年)」)