2020/10/17

【橘玲】「社会生物学」こそ、最後の希望である

ビル・ゲイツやエリック・シュミットらがこぞって賛辞を寄せる書籍『ブループリント』が、日本でも注目を集めている。

トランプに代表される「分断の時代」において、社会生物学の立場から「どうすればよい社会を築けるか」を説いた人類史だ。

社会生物学に造詣が深く、早くから著者のクリスタキス教授に注目してきた作家・橘玲氏に、本書のポイントを読み解いてもらった。

進化論が「悪」だった時代

1978年、ワシントンで行われたシンポジウムで、大著『社会生物学』を完成させた進化生物学者エドワード・オズボーン・ウィルソンと、のちに軽妙洒脱な科学エッセイで人気を博することになる気鋭の古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドが討論することになった。
ところがこの会場に「国際人種差別反対委員会」なる団体が押しかけ、壇上に上がると、若い女性が水差しを手に取りウィルソンの頭に水を浴びせかけた。団体のメンバーたちはそれを見て、「ウィルソン、お前はずぶ濡れだ」と繰り返した……。
(写真:leonello/iStock)
ウィルソンは『社会生物学』で、アリなどの昆虫から哺乳類までさまざまな生き物の複雑・多様な社会的行動が遺伝と進化で説明できることを示した。
それだけなら生物学の労作として賞賛されただろうが、問題は、ウィルソンがこの法則を動物(哺乳類)の一種であるヒトにも適用できるとしたことだ。
20世紀を代表する生物学者、エドワード・O・ウィルソン(写真:Jim Harrison - PLoS, CC 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=75390684による)
進化論を人間に当てはめることは、「男女や人種に生得的なちがいがある」とする“差別的イデオロギー”の正当化と見なされた。
だからこそ「あらゆる差別に反対する」左翼(レフト)は、「科学(現代の進化論)」を受け入れることを頑強に拒絶したのだ。こうして、アメリカのアカデミズムを揺るがす「社会生物学論争」が勃発した。

『ブループリント』はなぜ支持されたか

この歴史的事件から40年後に刊行されたニコラス・クリスタキスの新著『ブループリント:「よい未来を築くための進化論と人類史』は、この間のアメリカ社会の変化を象徴している。
「差別」を批判すれば差別はなくなるというリベラルの信念は、「PC(Political Correctness/政治的正しさ)」を罵倒することで一部の白人層から熱狂的な支持を得たトランプ大統領の誕生によって跡形もなく崩壊した。
だからといってそれに代わるものがあるわけではなく、いまや途方に暮れたリベラルな知識層は、かつて「差別の科学」と忌み嫌った進化論に救いを求めている。
ブループリント』がアメリカで高い評価を得た理由は、その期待に見事にこたえたからだろう。

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