マケドニア語はブルガリア語か 論争、11月に決着?:時事ドットコム
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マケドニアは長らくビザンチン帝国(ギリシア)とブルガリア、セルビアの争奪の地でした。
特にブルガリアとの繋がりは深く、第二次ブルガリア帝国はマケドニアのオフリドで建国され一時全バルカン半島を支配したほどで、現在のマケドニア人の半数以上はこの時に移り住んできたブルガリア系の人たちです。
したがって人種的にはマケドニア人はブルガリア人と同一と言えます。
面倒くさいのがその後マケドニアはセルビアに征服され、しかもその首都となってしまったことです。セルビアにとってはマケドニアは帝国時代の栄光を表している場所と言えるでしょう。
第一次バルカン戦争でこの地はブルガリア領となりましたが、これを面白く思わないギリシアとセルビアがブルガリアに宣戦布告。
袋叩きにあったブルガリアは負けて、結局マケドニアはブルガリア、セルビア、ギリシアに三分割されてしまいます。
現在のマケドニアはこの時セルビアが分捕った場所がそのまま独立したものなのです。
長年の周辺国の確執に懲り懲りしたマケドニアは独立後、セルビアはもちろん、ギリシアも、民族的には同一なはずのブルガリアとも一緒になることを拒否しました。
彼らはなんと自分たちを、ギリシアでも、セルビアでも、ブルガリアでさえなく、アレキサンダー大王の系譜、古代マケドニアの後裔であると主張したのです。
マケドニア語は世界的に珍しい後置詞の言語で、これは明らかにブルガリア語と共通なのですが、それを認めないのは、こうした歴史的なアイデンティティーがなく、作られた民族の物語しかない国家、北マケドニアの悲哀の現れだと言えるでしょう。言語学の視点なのか、アイデンティティや政治学的な視点かによって変わってきますよね。
ラオ語は言語学的にはタイ語の一方言でしょうが、ラオス人もタイ人も似ているけれど別の言語と認識しているようです。
ラオス語はタイのイサーン語(東北方言)に近いイメージですが、イサーンの人から見てもラオ語はまた違うようです。