なぜスマホに子守りをさせてはダメなのか - サイバーリテラシー・プリンシプル(3)スマホに子守りをさせない
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最近、こういう善意に満ちた意見を言う方の害が本当に大きいと思うようになってきた。
スマホが子育てに悪い。使いすぎればその通り。テレビもそう。CDで音楽聞かせるより本物を聞かせたほうが望ましい。絵本は数多く与えるだけじゃなくて、読み聞かせないと意味がない。外食はないほうがいい。コンビニの惣菜なんて論外。
全部、一つづつ比べてどっちがいいと言われれば反論のしようもないことだが、子育てでそんな理想論を求められるような環境にいる人はごく少数で、基本は日々ごはん食べさせて、風呂に入れてパンツ洗うだけで精一杯。
そういうのを離れて理想論だけ語れば何でも言えるけど、こういう善意のアドバイスが、日々のお母さんたちをどれだけ苦しめているのか、考えたことあるだろうか。
筆者は1966年に社会人になった男性なので、偏見を覚悟で言えば、おそらく子供のおむつも変えたことないだろう。明日絶対にはずせない早朝の顧客訪問を前に39度の熱を出す子供を前に途方に暮れる経験もしたことないだろう。
いいから黙っててくれ、と言いたい。
だって子供を産んで、育てること自体が素晴らしいんだから、多少ゲームしたり車内でどなるとか、どうでもいいことです。お母さん礼賛したらこんな記事書けないでしょう?だからもう書くな。で、少しでも余分なプレッシャー減らして、子育てが楽しいと思える社会にしましょうよ。はい出ましたよ。という、もはや様式化した内容。
だが、実際こういう年寄りで世の中回ってるというのも辛いところ。
1) 自分が生まれる前からすでに世の中にあるものは、すべてごく普通のものである。
2) 生まれてから30歳になるまでの間に発明されたものは、すべて途方もなく刺激的で創造的であり、運が良ければそれが一生の仕事になる。
3) 30歳以降に発明されたものは、すべて物事の道理に反していて文明の終末の予兆である。ただしその後、それが身の回りにあって10年ほど経つうちに、徐々に問題ないものであるとわかるのだが。
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「まだ動いていないもの」
著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly )
訳 :堺屋七左衛門任せっぱなしは良くないだろうけど、それはナチュラル素材な積み木だって夢の国の英語教材だって同じこと。
私はスマホも子どもと遊んだり学んだりするツールとして使ってます。親とのコミュニケーション、玩具、自然、本、手伝い、スマホ…いろんなものに触れて楽しむのが一番なので、まず禁止!から入るのには反対。