ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史)
現代新書 | 講談社
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コメント
注目のコメント
なるほどなあ。
ネオリベラリズムの世界観においては、原則的に、労働者も消費者も、あるいは資本家も存在しない。そこにあるのは、さまざまなレベルでの企業体としての個人である。わたしたちは労働者ではなく、一個の企業体であり、日頃から自己投資をおこない、教育資産を高め、契約によって業務をこなし、契約が終われば業務も終わる、もちろん、失敗があればそれは企業体の責任――自己責任――である。わかる(実感を伴う、の意)。
「実質のある仕事(リアル・ワーク)のブルシット化の大部分、そしてブルシット部門がより大きく膨張している理由の大部分は、数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結」
この記事の筆者で『ブルシット・ジョブ』訳者の酒井隆史さんがいる大阪府立大学は、経営のスリム化を目指す都構想やら市立大との統合やらでまさにBSJな状況に陥ったらしいけど、そのバイアスがあったとしても、わかる。