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GMOインターネットグループの「みんなの”無駄ハンコ実態調査”2020」に寄せられたコメントを読んでいて、ポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』が直ちに思い浮かびました。

全米屈指の人気作家が「アメリカの普通の人々」から送られてきた投稿に全て目を通し、選りに選ってラジオで朗読する。身の回りで起こった出来事が、「アメリカとは何か、アメリカ人とは何か」を語りかけてくる。

それと同じように、脱ハンコへの賛成・反対意見を厳選し紹介することで、「日本人とは何か、日本人にとってのハンコとは何か」を語れるのではないか。そう思った次第です。

「事実は小説より奇なり」とは、よく言ったものです。「ハンコ・ストーリー・プロジェクト」、お楽しみください。
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【現代の廃刀令としての脱ハンコ」

「ハンコ」に関するエピソードは、読んでいて楽しい。
それは、多数の日本人によって共通の体験であり、それ故に共感されやすいテーマだからかも知れない。

はんこは文化である、という主張がある。それもわかるが、
行政手続きやビジネスの契約の分野では原則を電子署名とするのを新しい文化にすれば良いと思う。今は様々なインフラが整っていないのと、リテラシーが追いついていない人々がいるのは事実だが、そこへの対応を丁寧にやれば良いし、慣れればどうということはない。

文化面で、というか工芸としてみた時に、印鑑というものを取り巻く技術には確かに素晴らしいものがあるのは事実なので、それらは「伝統工芸」の一部としてきちんと「保存」すれば良いと思う。江戸時代にあった武士の権威の象徴である刀の「鍔」には高度な金工技術があった。
「廃刀令」により、刀の錆に対するニーズは地上から消えたが、その技術は、結果として襖の取手や茶道具などに形を変えて生かされている。
「ハンコ」も同じで、残すべきものは形を変えて残して愛でれば良い。しかし、そのために社会全体のデジタル化の足を引っ張ってはいけない。

江戸から明治にかけての「廃刀令」に倣って「廃印鑑令」を出して「脱ハンコ」を宣言したらいかがだろう?
歴史好きとしては漢委奴国王の時代からハンコの文化が変わっていない事実に驚愕です。
今まで変革するタイミングとテクノロジーでの解決方法は多々あったものの、covidの状態になって、ハンコの押印のためだけに出社しなければならない状況になり、本気でそのハンコ文化からの脱却、変革を考えなくてはならない時期にきています。
ハンコそのものではなく、ペーパレスをどうするかをまず考える必要があります。単純にデジタル化するだけでなく、業務フローから見直し最適なフローとプロセスに変革するDXのスピードが確実に早まっていますね。
個人的には全部が全部脱ハンコでなく、習い事などで子供が楽しそうにハンコを押す仕草を見ていると、そのままでもいい場面もありますけどね。
この時期海外から日本に赴任してくる外国人が多い。先日もこの夏赴任してきた外交官と話したが、最も驚いたのはコロナでありながら、今でも銀行の口座がオンラインで開けられないこと、言っていた。行政のDXの遅れは国際的に見ても明らか。
新経済連盟のアナログ10原則ではないが、ハンコは本当に辞めたい。紙の保管は失くしたら大変。紙を印刷する手間もコストも郵送代もかかる。関わっている社団法人は契約書は全てAdobeサインで済ませている。全く何の問題もない。
『昔はみなみハンコ押すために会社行ってたんだって!』と語られ『さて、これは何でしょうか?』クイズの問題になる日がが来るような。
ピーターティールの『誰もが真実と信じて疑わないことを疑ってみる』この行為がコロナにより加速的に推し進められた。
まさにリセッション。
ビジネスや決裁の証跡としての「ハンコ」は、非効率なだけでなく、これらのストーリーを読むと、実効性にかける部分(cf. 田中と中田)も大きい。1年後に、「止めてみたら、何の支障もなかった」という企業や役所が続出すると思います。

満員電車通勤と同様、ハンコ決裁は単なる幻想だったのだと、のちのち多くの人が気づくのではないでしょうか。一方で、海外からも人気が高いと言われる文化や象徴としての(機能ではなく意味としての)ハンコは、別の形での需要を探っていけば良いのではないかと思います。

押印、代表電話、請求書...こうしたリモートワークを阻害する要因は、ベースとしてDX化(というよりもっと単純に古い慣習を改めるだけ)を進めることで簡単に解決できるものばかりです。2ヶ月ほど前に「日本の経理をもっと自由に」「#さよなら紙の請求書」というプロジェクトにランサーズ 社として賛同させてもらいましたが、この流れにも大賛成です。
「ハンコありません」と言うと、
「『印』のところに、名字を書いてください」と言われることがあります。
そう言う人は、だいたいはにかんだ笑顔を見せる。
この笑顔は嫌いじゃありません。
クラウドサイン責任者の橘です。
歴史を遡れば遡るほど、当時ハンコがその時代に適したテクノロジーであり、それを法的に支えた立法府/行政府の偉業なのだと感じます。

当時から一定の偽造リスクは抱えながらも、インターネットテクノロジ、3Dプリンタ技術のない明治時代において、現実的に照合で確認可能なレベルであり、逐一サインする手間が生じない利便性高いプロダクトでした。それを職人が開発する産業となり、裁判例が出来、100年かけて商慣習化しました。偉業です。

でも今はインターネットテクノロジがあり、3Dプリンタ技術があり、オンライン上での本人確認手段の多様性(二要素認証etc)があります。これからの100年、新しい契約の形を。たった100年、これから新たな100年の商慣習を創っていければ。
”ハンコって「えらそう」”って、まさにそうですね。だから、役所は”権威付”の証として書類にハンコを押すわけです。そして、その方法は日本に限らず、ここアラブでも当たり前のように行われています。

日本と違うのは個人のハンコというものは存在しない点。
では、サイン文化がハンコより優れているのかというと、それもまた疑問です。

8歳の子供の銀行口座が諸事情でロックされたので、解除の手続きをしようとしたら銀行から「本人のサインが必要」だと言われ、まだ小さい子供に「サインが書けるわけないだろう?」というやり取りを先日目の前で見た身としては、日本でサインが一般的になっても、結局「サインが要るから出社してください」となるだけでは?と思ったり。
宅配の受け取りに認印が必要でした。それがサインでも良くなり、いまはどちらもいらなくなった。

COVID-19で非接触がキーワードになっています。そういう意味ではハンコレスはありがたい。

かつて宅配途中の盗難がありましたが、ハンコレスでも盗難はないのでしょうか。気になります。
この連載について
コロナ騒動で「ハンコ」決裁の非効率が浮き彫りになっている。法律で強制されているわけでもないのに、なぜ役所の届け出・社内稟議等々でハンコを押す慣習はなくならないのか。ハンコにまつわる知られざる謎を解き明かし、ハンコに縛られることの是非を問う。
株式会社ダイヤモンド社(ダイヤモンドしゃ、英語: DIAMOND,Inc.)は、主に経済やビジネスなどの書籍や雑誌等を出版している日本の出版社である。1913年(大正2年)に、『経済雑誌ダイヤモンド』を創刊して設立。本誌は日本初の出版社系週刊誌となる。本社は東京都渋谷区に所在する。 ウィキペディア