【塩野誠】日本はどの未来を選ぶのか#6/6
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本章が本書の集大成であるが、冒頭から、日本の地位は「相対的」に向上するとの著者の言及に大変興味をそそられる。個人的には、個人と企業レベルでは、国家的な枠組みとの接点は持ちつつ、デジタル・テクノロジーを活用して、グローバルな視野で自己実現する未来に楽観的である。一方で、著者の論じるように、疲弊する米国と混沌とした世界が存在することは明らかであり、そのような状況下において、国、企業、個人レベルで何が求められているのかについて改めて考えさせられた。著者が提言する、デジタル・テクノロジーの分野ではスピードが重視されるという点に賛同する。また、少なくとも、企業と個人レベルでは、Status quo(現状)の維持ではなく、日々刻々と変化する環境を見極めて対応している能力が求められると思われる。前例踏襲や慣行も、必要があるものなのか(例えば、死刑判決の判断基準は過去の事例をもとに判例を集積して慎重に判断すべきである)、それとも、ただただルーチン化した儀式を踏襲しているだけなのか、積極的に見極めていく局面に達していると考える。○○テックと呼ばれる業界に身を置いているプレイヤーは、すべからくこの「なぜ?」を問いかけて、その改善の余地に商機を見出している。一方で、規制当局、既存勢力、ビジネスパートナーなど関係当事者には、必ずしも変化を好まない者も存在する。例えば、コンスーマー向けサービスであれば、グローバルな視野で業界を俯瞰して、摩擦係数を極限まで減らして、消費者に好まれるサービスを構築することが大事なのだと思う。著者は評論家ではなく、ベンチャーキャピタリストであり、事業家である。本章は著者の意思表明だと思うと、今後の彼の動きにも目が離せない。
注目のコメント
過去の事実が脈絡なく淡々と述べられている感じで、読んでいてキツくなる。
なぜ皆さんが長文コメント書けるのか不思議。
今の日本が選ぶ未来は、日本の高齢者が選ぶ未来なので、多くの人はその中でどう生きるか、という問題。
よくデジタルで遅れてると言いますが、そんなでもない気もするし。
むしろ、デジタルテクノロジーと国際政治という文脈では、経済安全保障(エコノミックステートクラフト)が、自由主義陣営にとって中国封じ込めと同義になっていることを危惧しています。新型コロナウイルス感染症は、日本がデジタル後進国だったことを明らかにした。陽性者数を手計算でFAXしていたり、システムによる給付金の登録がまともにできなかった政府や自治体に多くの人が驚いた。一般企業も印鑑を押すためだけに出勤するなど、テレワークも当初は進まなかった。本章にも、デジタルデバイスを指導に取り入れる際に必要な教育スキルを持っている教師の数は、79ヵ国地域中日本は最下位と書かれている。本作品の各章の論考においても、日本の遅れが指摘されてきた。
しかし塩野氏は日本の未来をあきらめていないのだ。それは絵空事でも浪花節でもない。日本の正しい未来を選択するため、経験と実績に裏打ちされた塩野氏の提言がここにある。新しいことにチャレンジをしない、保身と社内政治に汲々としている粘土層といわれる中高年は、心して読むべき内容だ。2000年に成立したIT基本法では、世界最先端のIT立国を目指し、電子政府の実現が謳われていた。20年が経過し、日本のデジタル化の遅れが新型コロナウィルスの対応で露呈し、当時掲げた目標は虚ろに映る。インターネットの普及が本格化した2000年以降、日本発のイノベーションは息をひそめ、今の日本にデジタル化の遅れを取り戻す以上に、世界を牽引するだけの意気込みと能力が備わっているかは甚だ疑問である。
しかし、著者は今の日本こそ相対的に地位が向上すると断言し、そのためにはソートリーダーの存在が不可欠であると述べている。そのソートリーダーが日本のリソースを使ったアジェンダセッティングとルールメイキングを行うことが活路であると。ソートリーダーの育成には意思と能力のある人間に多様性を持たせることが不可欠であり、多様性を持たせるためには政府と民間を行き来するリボルビングドアが必須という。ゲームはまだ終わっていない、未来志向で立ち上がれと鼓舞する著者の叫びがヘルシンキから聞こえてくるようだ。