この割れ切った世界の片隅で
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生まれた環境で人生は全く違うものになる。その差はあまりにも大きいもので、到底自分たちの「普通」では想像できない。では、理解しないで良いのかといえばそんなことは全くなくて、社会を構成するすべての当事者が、互いに理解しようと努めるべきだと考えています。
ここから先は多分に主観が入りますが、中流以上の家庭で育った人は、相対的貧困や障がい、家庭内暴力などの今もどこかで苦しんでいる人たちが抱える「生きづらさ」にあまりに無頓着だと思っています。
その代表例が自己責任論です。彼らが勉強ができないのは本当に彼らのせい、彼らが社会にうまく馴染めないのは彼らのせい。果たしてそれは本当なのでしょうか。例をあげればキリがないですが、彼らの置かれていた境遇を考えることなく自分たちの「普通」で彼らを傷つける大人があまりにも多いと感じます。
まずは自分たちの「普通」を見直すところから、そして別の世界の「普通」を知ったなら、できることから手を差し伸べてあげられる社会になればいいなと心から思います。
注目のコメント
この方が幼いころから味わってきた悔しさが憤りが文章ににじみ出ていますね。
確かに世界は割れきっている。
昨年末NPが出版したスティーブン・ピンカーの「21世紀の啓蒙」によれば、世界の分断は加速なんかしていなくて、よりよくなっているようだが、それは視点によるんだと思う。
【独占】ゲイツが「一番好きな本」を書いた男、人間を語る
NewsPicks編集部2019年12月17日
https://newspicks.com/news/4468036
日本は日本以外の国に比べればうんと平等なのかも知れないが、それでも普段眼にするものや、都会生活でであう人との交流で見聞きする世界と、目立たない世界との分断はかなりある。
問題は、そんな世界の中で偶然生まれてきて、どんな社会をよりよいと考えるのか。自分がどう生きたいと思うのか。
社会の問題に気づいたからといって、それを変えるために生きることが全てではないし。
私も貧困家庭が多い地域で生まれ育ち、私の家自体も父の失職・借金・家出など楽ではなかったが、誰の勧めもカネも情報もないなかで、一つ一つ選択し、私立中高一貫、旧帝大の学部・修士・博士、海外留学、大手グループのシンクタンクなど経つつ、分断された世の中をながめてきたけれど、特になんの不平等も不公平も感じなかった。
そこにあるのは「差」だけだ。
確かに、埋もれていた意欲や能力のある人が活躍するストーリーは時として美しいけれど、別に社会がそうしたストーリーをできるだけ多く生み出すように設計されているべきとは私は思わない。それが私の生き方。今週SNSで知人に紹介されて読み、思わず子供にも「ぜひ読んだ方が良い!」と勧めました。内容はもちろんのこと、筆致も素晴らしい。グイグイ引き寄せられました。
40代前後の女性が過去を振り返って書いた文章かと思って読み進めましたが、高校生だったとは!言葉の選び方、リズム感、メッセージにこめられた熱い想い。どれを取っても秀逸です。まさに異才の方だと思います。
そして、田舎で生まれ育ち、保育園から小中高と地元の公立の学校で学び、大学から東京に出てきた私も、彼女に相通ずる経験をしてきたことから他人事とは思えませんでした。
「本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?課外活動?地方では突飛なことして失敗したら、一生その町で馬鹿にし続けられることを知っていますか?」
その通りです。そうしたハンデを乗り越えていける人は本当に一握り。地方に眠る多くの若い才能が、壁に阻まれて、飛び立つ機会を与えられずに夢を追いかけることを諦めてしまう。そしてその壁は、私が故郷を離れた頃より、もっともっと高くなっているのだと思います。
それを変えるために、一体自分に何ができるのか。
この週末じっくり考えてみたいと思います。今日のとある大学生の記事と真逆にあるような記事。
どちらも本当でどちらも一生懸命生きてる人。でも生まれた場所で、それぞれの「ふつう」はあまりに違ってくる。
彼女は最後の方にこのように投げかけています。
大切なことは、どれだけ世界を見ようとも、「自分は視野が広い」「自分は物事が適切に捉えられている」なんて思わないこと。自分の見ている世界を疑い、謙虚になること。常に相手の背景を受け入れようとすること。自分が生んだ成果はすべて自分の努力のお陰だなんて思わないこと。
社会を作る仕事に関わる自負がある人たちはこの指摘を常に心に刻んでいないといけない。教育なんて特にそう。
成功者が語る自己責任論ほど、無知を曝け出して格好悪いものはない。社会という構造の中で私たちはみんな生きてる。