【松山智一】コロナ時代に「アート×公共」ができること
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注目のコメント
こうした状況だからこそ、アートの必然性が問われます。
何が非日常で、何が日常か。
先が見えづらいこの状況を、僕たち作家は作品を通じて可視化しながら、
もがき、プラスへと転化できないか闘っています。
社会のあり方のニュアンスを捉えることができるのがアーティストなら、これからの生き方の提案もできるのではないかと信じています。
ぜひお読みいただければありがたいです。「僕は絵がうまくないから、届け方を考えるしかなかったんです」
前回のインタビュー記事(https://newspicks.com/news/4024583/body/ )で、「アーティストの仕事は作品を届ける一点に尽きる」と語られていた松山さんに、あの言葉が印象的でしたとお伝えしたら、冒頭のお答えが返ってきました。
美大でのアート教育を受けておらず、NYに行ってから独学で学んだという松山さん。25歳での単身渡米後、世界からも認められ、故郷にも先人が成し得ていないような偉業を達成するようになるまで、どれほどの思いでやり抜いてきたんだろう。。。と考えながら臨んだ取材でした。
アーティストが大成していくためには何が必要なのか、コロナを経て今なにを考えるのか。想像を上回る強い覚悟、信念が伝わってくるインタビューでした。心を決めて、戦い続ける。作品だけでなく、生き方も本当にかっこいい方だと感じました。
後半の「東京カルチャー」対談では、松山さんと親交が深い岡沢高宏さんをお招きしお話を伺ったのですが、二人の熱い友情に私は静かに感動していました。
松山さんは、ご自身の作品が新宿東口駅前広場を飾ると決まってすぐ、岡沢さんに連絡したそうです。
そして岡沢さんは、「ここにマッツの作品が飾られるのか…」と感激し、まだ何も建っていない時点から何度も現地を訪れたそうです。
取材後、別件があり松山さんは先に離席されたのですが、松山さんが去った後にも岡沢さんは 「今一番勢いがある方々が読者のNewsPicksにマッツの記事が載るなんて、すごく嬉しいです。これからもマッツをよろしくお願いします」とおっしゃっていました。
お二人の信頼関係に「東京カルチャーのブラザーフッド」を垣間見た気がしました。素敵なものを味わわせていただいたなぁと感慨深かったです。
記事内に写真が掲載されていますが、作品も超絶素敵なんです!!ぜひ、お読みいただけたら嬉しいです!昨年10月に松山智一さんのインタビューをプレジデントオンラインでも掲載しています。松山さんの経歴はとてもユニークです。記事の書き出しはこうです。
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どうやって現代美術作家になったのかとよく聞かれるんですが、僕はもともと美大に行ったわけでもなく、大学は経営学科で、学生をやりながらプロのスノーボーダーとして活動していました。そのスノーボードで足首に全治10カ月の大怪我をして「この職業を続けていくのは無理だな」と思ったんですね。それでどうしようとなったときに、雪上で自分を「表現」するのがスノーボードなら、別の世界で「表現」を生業にして生きたいと思ったんです。以前、スノーボードのデザインを手掛けたこともあって、本格的に商業デザインを学ぼうと、ニューヨークのプラット・インスティテュートという建築・デザイン系の大学に進みました。
現代アートとは自分流に「時代を切り取る」仕事 「1日2ドル」の生活から世界市場へ #POL https://president.jp/articles/-/30366
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あるジャンルを変えるのは、中心にいる人ではなく、辺縁にいる人だとよく指摘されます。松山さんはその典型ではないでしょうか。今回も刺激を受ける記事でした。