「死ぬ権利より生きる権利を守る社会に」 ALS女性「安楽死」事件、れいわ舩後参院議員が見解
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『逝き方』を選ぶ時代が来るだろう
プロ野球選手で例えるなら、、、
若くして人気絶頂で引退する選手もいるし
年を重ねて最後まで粘り強く現役を続ける選手もいる
両者に言えることは
『自分の納得地点を見つける(見つけた)』
つまり、この安楽死を希望した女性は、自分の人生に納得地点を見つけたのだと思う。
そして、、、
日本は、より一層、終末期の患者の対応について
制度上の整備をすすめなくてはならない。
この女性が言われているように、意思決定能力があるうちに、、、自分の逝き方は決めたいだろう。
生かされるのではなく、生きるために
日本では、未だ、代理意思決定について法的に認められておらず、欧州に遅れをとっている。
つまり、この女性の家族でさえも、死にたいという思いは知らなかった。
果たして、その家族が、この女性が意思決定能力を欠いた際に、その女性の意向を代わりに代弁できただろうか?
家族が悪いわけではない。家族には家族としての役割があるからだ。
私が一番言いたいのは、自分の意思決定能力が無くなったときに、誰が自分の気持ちを代弁してくれるのか?
という問題である。
日本は未だに、
代理意思決定者=家族
という誤解が多い。
実際の現状として、家族の役割と代弁する役割は異なる。
意思決定は単純ではないことを改めて感じた。
日本の法律や医療に間違えなく影響を与える出来事となった。
注目のコメント
「生きる権利」と「死ぬ権利」のどちらか択一の話ではなく、両方の権利を守る社会を目指して欲しい。安楽死先進国のスイスで、ALSやその他の難病で苦しむ人を見てきたが、両方の選択をしていた。私は、これは個人の価値観の問題だと思う。
生きる権利を放棄したい人を、私は非難することはできない。健康でも経済的理由で安楽死を選ぶ人もいる。日本でも、人生100年時代に老後の経済的不安を抱える人は激増している。半世紀後、まだ厚生年金や国民年金は機能しているのだろうか?
法に反いて患者を安楽死させて殺人幇助した医師は言語道断だが、私自身不治の病に苦しんだ時はスイスで安楽死をという話は娘たちには話している。日本も、年間2万人の自殺者のうちや4割が健康問題、2割が経済問題。WHOによると日本の自殺率は世界で14位(2016年)。喜べない数字です。自分の父もALSでしたが、酸素呼吸器を付けても酸素が充分に体内に取り込めずに、亡くなる直前一週間は水に溺れ続けているような時間でした。
それを側で見た経験から、「死ぬ権利」は正論としては認められないのは理解できても、現実には必要と思う。
自分がその苦しみの立場に立ったら、「頼むから楽にさせてくれ」と思う。そしてその未来が間違いなくくるのが分かっていたら「悪化する前に楽に死にたい」って思う。
正論や理想論は分かるが、身近で経験すると理想論では語れない。透析業界も、公立福生病院の件がありましたが…
それをキッカケに、私の勤務先でも中止希望の患者様が出ました。
一人は「もう透析がつらい。」と言うものですが、家庭環境にも原因があり、介入を試みている状態。
もう一人は「自分は、延命(透析)する為のお金を社会に全額負担してもらってまで生きる価値が無い人間だ。」と言う人です。
安楽死と尊厳死は違いますけれど…
患者様に合わせた、最良の医療を提供することを目標にしている立場の人間として、またそのチームの一員として、どう寄り添うべきなのか?
本当に難しくて…正直ドンヨリしてしまいます。
「生きる権利を守る社会」これを聞いて、ボンヤリと見えるものがありました。