【ビル・ゲイツ推薦】日本人よ、神話を生み出そう

2020/6/25
ビル&メリンダ・ゲイツ財団で日本地域を管轄するリーダー、ハッサン・ダムルジ氏。ビル・ゲイツ自身が太鼓判を押し、いま世界で大きな注目を集めている彼のデビュー著書『フューチャー・ネーション』から、日本語版への特別寄稿をお届けする。

中国大使の衝撃コロナ発言

2020年2月のある日曜日。BBCの政治系トーク番組を見ながら朝食をとっていたぼくは、思わずシリアルをのどに詰まらせそうになった。
番組では中国の駐英大使が、湖北省で蔓延しているえたいの知れないウイルスについてインタビューを受けていた。
ウイルスはすでに世間の注目を集めており、ぼくが驚いたのはそこではなかった。大使の語った内容だ。
「私たちは国際協調を歓迎する。このウイルスは人類共通の敵だと私たちは考えており、世界が、人類が、人類社会が力を結集し、共通の敵と戦う必要がある」
ハッサン・ダムルジ(Hassan Damluji)/ビル&メリンダ・ゲイツ財団副ディレクター。同財団のグローバルポリシー&アドボカシー部門(中東・パキスタン・日本・韓国)を率いる。専門はコーポレートマネジメント、国際開発、教育改革。1982年、ロンドンでイラク人の父親とアイルランド人の母親のもとに生まれる。オックスフォード大学卒業後、ハーバード大学大学院で修士号(中東研究)を取得。マッキンゼー&カンパニーを経て、2013年、ゲイツ財団に参画。25億ドルの開発ファンドLives & Livelihoods Fundの共同創設者であり、ロンドン拠点のチャリティ・スクールOne Degree Academyの共同創設者でもある。来日経験も多く、日本の近現代史に造詣が深い。

人類の敵は「人間」ではない

大使の発言は必ずしも政治の生々しい現実を反映するものではない。しかしこれは中国の外交官が、イギリスのテレビ番組で当たり前に口にするような話ではなかった。
こうしたインタビューでは、中国への批判に反論したり、中国のインフラ投資がもたらす恩恵を長々と語ったりするのが一般的だ。人類が共通の敵の前に団結する、といった話が出てくることはまずない。
新型コロナウイルス感染症が世界的パンデミックだと正式に宣言される1カ月前のことだ。この感染症が多くの人命を奪い、経済活動を停止させるだけでなく、政治のあり方を変え、世界に対する新たな見方を生み出す可能性があることにぼくが気づいたのはこのときだ。
ぼくがシリアルをのどに詰まらせそうになったこの朝のインタビュー以降、パンデミックを収束させるには世界がひとつになるしかない、という声をよく耳にするようになった。イギリスのブレグジット(EU離脱)推進派のボリス・ジョンソン首相までが「これは人類対ウイルスの戦いだ」と高らかに宣言した。安倍晋三首相は日本が国際協調において主導的立場を果たすことを約束した。
新型コロナウイルスに感染したものの回復し、職務復帰したジョンソン英首相(写真:ロイター/アフロ)
しかし世の中はこうしたさわやかな国際協調主義一辺倒というわけではない。他国への非難、孤立主義、ゼノフォビア(外国人憎悪)といった邪悪な主張も幅を利かせている。
本書でぼくは、私たちが直面する最大の脅威は他の人々ではない、気候変動や世界的パンデミック、核兵器の脅威こそが最大の課題であり、世界が団結しなければ克服できない共通の脅威なのだ、と主張した。
ドナルド・トランプの大統領就任やブレグジットなど世界が内向きになる流れがある一方、国境を越える人の移動の増加やユーチューブの世界的普及など、ここ数十年の技術や社会の驚くべき変化によって、人々が人類全体に対して強い絆を感じる土台ができた。自らを「世界市民」と認識する土台ともいえる。
本書では、世界人口の半数以上にすでに世界市民(それが何を意味するかはまちまちだが)という自己認識があることを示した。
予測困難で、長期的には必ず起こる重大かつ恐ろしい出来事によって、人類社会のあり方を改善しようという政治的エネルギーが生まれる可能性がある、ともぼくは指摘した。

的中した予言

本書の執筆当時念頭においていたのは、超大国同士の戦争が起こり、1945年と同じようにすぐれた国際システムを構築しようという機運が生じる、あるいはあの時点で世界の数十億人の有権者が最重要課題と考えていた気候変動によって、為政者が国際協調を何よりも重視するようになる、といった事態だ。
だが非常に残念なことに、ぼくの予想よりはるかに早く、人類はそうした試練に直面した。
本稿執筆時点で新型コロナウイルスは世界で最も脆弱(ぜいじゃく)な国々で広がりはじめたばかりだが、死者の数はすでに、「世界最大の人道危機」と呼ばれた2003年以降のスーダン・ダルフール紛争のそれを上回っている。
経済損失は2020年だけで、アメリカ政府が第2次大戦中に支出した4.1兆ドルの2倍以上になることが予想されている[1]。
(写真:Powerofflowers/iStock)

コロナは変革を生むのか

私たちは今、歴史の転換点にいる。世界が協調、繁栄、公平への道を進むのか、それとも分断、対立、恐るべき格差への道を進むのかが決まろうとしている。
過去にはこうした悲劇が、最終的に大きな進歩につながったケースが幾度もあった。
14世紀なかばに西ヨーロッパの人口の3分の1を死にいたらしめた黒死病(ペスト)は、労働者の交渉力を高め、その後の民主主義社会の基礎を据えたといわれる。
アメリカは南北戦争によってバラバラになったものの、そこから各州がゆるやかに結びついた現在の国家体制が生まれた。
(写真:rewindtime/iStock)
第2次大戦が起こらなければ国連は誕生しておらず、世界保健機関(WHO)のような国連機関が存在しなければ、現在の私たちを取り巻く状況ははるかに困難なものになっていただろう。
とはいえ「すべての試練は人を強くする」という格言が当てはまらないこともある。
第1次大戦が残した傷跡には、新たな戦争の種が潜んでいた。2003年のイラク侵攻は強固な民主国家の誕生にはつながらず、2008年の金融危機を経ても世界の経済問題の多くは未解決のままだ。
新型コロナウイルス危機は、変革のきっかけになるのか、それとも死のスパイラルの始まりなのか? 評論家のなかには、国際システムの終わりを予想する声もある。英『エコノミスト』誌は読者に向けて、こんな陰鬱な警告を発した。
「グローバル化の時代に別れを告げよ、そしてそれに代わる新たな時代を憂慮せよ[2]」
もっと楽観的な見方もある。国際政治学者のイアン・ブレマーは、新型コロナウイルスは「ゴルディロックス的危機」ではないか、と問いかけた。私たちに本質的変化を迫るだけの重大性はあるものの、より良い世界を構築する能力を完全に毀損するほど破滅的ではない、いわば「絶妙な加減」の危機という意味だ[3]。
【イアン・ブレマー】世界でこれから爆発すること
その長期的影響がどれほどのものになるのか、見きわめるのは時期尚早だ。こんな試練を望んでいた者はいない。私たちにできるのは、自らが実現したい未来に向けて真剣に努力することだけだ。

日本人に認識してほしいこと

ぼくの周りの日本人の多くは、日本人の30%が自らを「世界市民」だと考えていると聞くと驚く[4]。
日本は島国なので閉鎖的で、外の世界にはあまり関心がないという固定観念がある。日本の友人からは、自分は国際問題に強い関心があるが、そういう人間は少数派だよ、とよく言われる。
しかしエビデンスを見ると、またぼく自身の日本での経験に照らしても、その認識は誤っている。
日本は外から入ってくる思想に対して、驚くほど開かれた社会だ。そうでなければ、あなたも本書を手に取っていないはずだ。
ロンドンの自宅でNewsPicksのZoom取材に応じる、著者ハッサン・ダムルジ氏
日本は特別孤立主義的な国だという認識は、200年にわたってほぼ完全な鎖国状態にあった歴史的記憶に根差しているとぼくは思う。
たしかに移民を規制しようとする傾向は依然として強い。
しかし本書で述べるように、移民への懸念はあらゆる国にある。
そして移民を大幅に増やすことは、世界がひとつになるための必要条件ではない。
日本が国際協調を推進するうえでこれまで以上に大きな役割を果たす第一歩は、自らが孤立主義的だという誤った通念を捨て、すでに世界に対してどれほど開かれた国であるかを認識することだ。
ただ国際協調の重要性を認識することは、ほんのはじまりにすぎない。
実効性の高い国際システムの実現をはばむとほうもない壁を、どうすれば越えられるのか? グローバリズムの目的について、またその実現方法について、どうすれば共通のビジョンに到達できるのか? これほど多くの人々、ときには政府までが排他的なナショナリズムに傾倒するなかで、どうすればグローバリズムは広範な支持を得ることができるのか? どうすれば均質化を避けながら一体感を醸成できるのか?
(写真:imaginima/iStock)
グローバルな絶対権力の下で、画一的なロボットのような人々の暮らす同質化した世界など、誰も望んではいない。
本書がみなさんに提示するのは、一体感のある世界を創り出すためのブループリントだ。
それは多種多様で争いの絶えない何百万というコミュニティを、平和的で機能的な集合体にまとめる方法を、私たちはすでに知っているという認識から出発している。「国家」という強力な神話を生み出すことで、それを成しとげたことがあるからだ。
過去2000年にわたって私たちが築いてきた国家というコミュニティは、過去の憎しみは乗り越えられること、そして人は見ず知らずの他人の利益を自らの利益より優先できることを示した。
ほんの1世紀前には何億人もの人々が訪れたこともない街に学校や病院を建てる費用をまかなうため、収入の3分の1、ときには半分を、遠い存在である政府に差し出すことなど想像もできなかった。
今日の世界には、140年前の世界人口に匹敵する数の国民を擁する国家がふたつ存在する。
中国とインドだ。いずれも地球規模の国家といえる。
【実録】中国は「ポストコロナ」が始まった
どちらも完璧ではないが、インドや中国が200ものバラバラな国家に分かれ、それぞれが資源を囲い込んでいる状態のほうがよかったとはとても言えないだろう。
その場合、紛争や貧困はいまよりはるかに深刻だったはずだ。湖北省が独立国家だったら、新型コロナウイルスの感染拡大を封じ込め、遅らせるための手段はもっとかぎられていたはずだ。

これからの世界に本書がどう役立つか

本書は「どうすれば地球規模の国家を建設できるか」という問いに徹底的に答えていく。
私たちにはすでに実績があるのだから、もう一度成しとげることは可能だ。今度はその対象を全人類に広げなければならないというだけだ。これまであらゆる国家がそうしてきたように、他の人々を脅威と見なして団結するのではなく、全人類からなるフューチャー・ネーションは感染症、気候変動、極度の貧困、核戦争による相互確証破壊(MAD)といった「人類以外の敵」に対して団結しなければならない。
本書では、過去のナショナリズムの失敗から学べる教訓をみなさんに提示している。これは、今回のパンデミック後のフューチャー・ネーション構想の要となるものだ。
これまであまりに多くの国家が、特定の外集団に敵意を集中させるという手法を採ってきた。その轍を踏み、マイノリティを敵視することで人類の大多数を団結させるという誘惑に駆られてはいけない。
征服戦争によって建設された国家は多い。しかしフューチャー・ネーションはトップダウンの命令ではなく、手間ひまのかかるコンセンサスを通じて建設すべきだ。
グローバル版中国のような国家に住みたいと思う人はほとんどいない。加盟国が国民投票によって離反するリスクと常に向き合いつつ、EUが苦労しながら共通の取り組みを進めていく様子を見るのは歯がゆい。
しかしこの集団的アプローチのほうが、多くの人が望むような共同体を生み出す可能性は高い。
自らの人生に介入したり、自らの帰属する集団を抹消したりするような全体主義国家を望む者はいない。
しかし本書を通じて明らかにしていくように、気候変動のような万人に影響を及ぼすような問題については、協同的取り組みと意思決定を担う権力のレイヤーを望む人々は世界中にいる。
歴史を振り返れば、国家建設の試みが頓挫したり、道を誤ったりしたケースは枚挙にいとまがない。しかし国家への帰属という概念が存在しなければ、多元的民主主義、福祉国家、法の支配なども存在しえない。
あらゆる国家建設の試みがそうであるように、より一体感のある世界の構築も長い道のりになる。
(写真:Yuri_Arcurs/iStock)

カギは「信頼」

しかしさまざまな対立があるとはいえ、私たちはその道のりをこれから歩み出すわけではない。
いまあなたが手に取っている本書では、国家の後ろ盾を得て奴隷貿易が産業として行われていた時代から、人種や国籍にかかわらずあらゆる人に基本的人権が認められている時代へと、人類が大きく前進してきたことを示していく。必要な国際システムはすでに整っているとぼくは考えている。
私たちが取り組むべき課題は、新たなシステムを創ることではない。個人レベルで共通の信頼感と理解を築いていくことだ。それがなければどんな国際システムも機能しないのだから。
本書の目標は「グローバル政府」ではなく「グローバル国家」の建設だ。歴史上、公共の利益のために人々の力を結集させるのに最大の成功を収めてきた、「私たちはみな同じ集団の一員である」という神話を生み出すことだ。
日本のみなさん、一緒に神話を生み出そう。
2020年6月 ロンドンにて
ハッサン・ダムルジ
1. 新型コロナウイルスによる経済への影響については以下を参照。"Coronavirus 'could cost global economy $8.8tn' says ADB", BBC News, 15 May 2020. 第2次大戦時の支出については以下を参照。https://online.norwich.edu/academic-programs/masters/military-history/resources/infographics/the-cost-of-us-wars-then-and-now
2."Goodbye Globalisation", Economist 16 May 2020
3.Eurasia Group briefing, 2020
4.International Social Survey Programme, 2013
(翻訳:土方奈美、編集:富川直泰、デザイン:岩城ユリエ)