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社会統治と近代都市は「歩行の不便」の解消からはじまった

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注目のコメント

  • バッテリー スペシャリスト

    Mobilitiesは手元にあるのですが、こうして切り出されるとアーリの文章は読みづらいですね。。歩行に着目した流れが分からないのと、移動の時間と空間について分析する視点が、歴史的・心理的・意味的な解釈の羅列のように見えてしまいました。

    イリイチに倣って、交通Trafficを人間自らの意志でのTransitと輸送機器のTransportに分け、歩行とは”自律的な”移動であるが、実は自律的ではあっても”自由”な歩行では無いというアーリの主張と捉えられそう。

    歩行という行為は、道や都市空間に物理的に矯正されており、また道が舗装されたことによって、見る見られるといった心理的にも矯正される。

    つまり、舗装のような不便さの解消が、近代化でも有り社会統治でも有り、これまたイリイチに繋げてしまうと、交通というシステムに歩行行為が組み込まれてしまっている。

    そして巡礼やお遍路でも、決められたルートで決められた手順に強制されざるを得なくなる。しかし、一方で身体的・認知的に頭が働き出して、何かに気付かされる、修行の様なものに歩行がなり得るとも。解釈に過ぎませんが。。


  • Uzabase NewsPicks Premium 法人チーム

    印象的だったのはリヨンを訪れた際に知った巡礼の跡。地面に小さなホタテの形をしたプレートが埋め込まれていて、留学していた友達に聞くと「これは巡礼の道標の名残なんだよ」と。信仰とそのための苦行を感じました。


  • 保険会社(フランス) Data engineer team leader・道産子

    「歩き」に対して歴史的論考を加えるこの記事はとても面白いです。本の方も俄然読みたくなりましたがKindle版無いのね・・・困った。

    また巡礼に関するコメントもあって巡礼ファンとしては嬉しくなりました。欧州の街角を注意深く観察すると実は結構な頻度で見つかるホタテのマーク(街を代表する教会の周囲で歩道の路面や標識等の柱の表面を探してみて下さい)、サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路を示すものです。

    このサンチャゴ巡礼、中世にレコンキスタと連動して活発になるもその後は衰退し、現在の高まりは細々と続いていたそれが1990年前後に大衆にいわば「再発見」された極めて現代的な現象です。

    現在の巡礼者はGPSにスマホアプリ、ゴアテックスと多彩なテクノロジーを装備しています。また本来は聖地を訪問する事が目的だったのが現在はそれに至る過程、歩くこと自体がより重要な目的と化しているのと指摘もあります。

    多くの人がテクノロジーを装備してまで「不便」に身を投じるのは何故か。北大の岡本亮輔先生が同じ巡礼路を歩く巡礼者の間に生じる「共同体」における体験の重要性を著書(聖地と祈りの宗教社会学)で指摘しています。

    歩行の不便の解消が近代の社会システムに繋がったとすれば、その既存の社会システムとは離れた異なる場所に精神的な依り代を求める行為の一つもまた「歩き」といったところでしょうか。


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