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ベルギーで元国王像が撤去される 植民地時代の圧政象徴 米黒人暴行死受け

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  • 暦オタ・ガジェオタ・ミリオタ・時々謎のPro Picer

    現代の価値観で歴史を断罪することに強く反対している私ですが、ベルギーのレオポルド2世については、当時から既に強い非難があり、むしろここまで擁護しつつづけたベルギーに非があると言えます。

    ベルギー王室領自由コンゴは人類史上最悪の植民地統治の1つです。
    この国の悲劇は、19世紀に自動車が発明されたことに始まりました。
    タイヤの原料であるゴムが自生するこの国に対し、この国を王室領として個人的に植民地にしていたベルギーのレオポルド2世はゴムの利益を独り占めにするために徹底的な収奪を始めたのです。

    レオポルドは、過剰な生産ノルマをコンゴ人に与え、妻や子供を人質にとって強制労働させ、ノルマが達成できないと、その妻や子供の手を切り落として見せしめにしました。
    当然原住民による反乱があいつぎましたが、現地兵に金を渡してお互いに殺しあわせることでこれに対応し、75年の間に実に1000万〜1600万人もの人たちが殺害された(その大部分はレオポルド2世統治下)と言われています。

    レオポルド2世はこうしたコンゴの実態をメディアの記者を買収することで隠蔽していましたが、ある時その金額を渋ったことでメディアの報ずるところとなり、流石の欧州各国からも非難殺到。
    王室領コンゴは没収され、ベルギー直轄植民地となりました。(正直この統治も褒められたものではなかったのですが、レオポルドの収奪よりはだいぶマシでした)

    ベルギーという国家の植民地統治の歴史を現在の価値観で簡単に断罪していいかというと微妙なところがあると思いますが、個人の私領において、その私欲のために圧政のかぎりを尽くしたレオポルド2世については、歴史的にも非難の謗りは免れないと思います。


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    毎日新聞 ニューヨーク支局専門記者

    レオポルド2世が「私領地」としたコンゴでは歴史上まれにみる残虐行為が行われました。
    ゴムや象牙などの資源を採取するために現地の人々は劣悪な環境で搾取され、ノルマが達成できない人たちの手首を切断。数百万人が亡くなったとの見方もあります。
    ベルギーの国立博物館ではつい最近までこうした歴史を正当化する展示がありましたが、こうした歴史認識に変化が生まれています↓
    https://mainichi.jp/articles/20190306/mog/00m/030/007000c


  • 私立中学高校 教員

    このレオポルド2世のコンゴ支配を列強で検討するために開かれたのがベルリン会議です。
    この会議はドイツの宰相ビスマルクによって提唱されました。
    この会議ではアフリカにおける列強の進出のルールが決められ、先占権が確認されています。
    つまりアフリカの植民地支配は早い者勝ちになり、ここからアフリカ現地の意向とは関係のないところで列強の植民地支配が加速することになりました。
    これはその後のアフリカの部族対立の問題に深く根差すことになります。

    また当時のレオポルド2世の卑劣なコンゴ支配は、知らされていなかったベルギー人にとっても驚きと怒りを沸き立てたと記録があります。


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