「自己啓発本」編集者が明かす「言葉のドーピング」それでも作る理由
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当世、「自己啓発」という言葉は基本的に否定的な文脈で捉えられ、冷ややかに語られがちです。概ね、この手の批判に共感するところもあります。一般的な「自己啓発」の内容や、それを取り巻く人々というのは、正直、あまり得意ではありません。
ただ敢えて「自己啓発」の肯定的な面を挙げて擁護するならば、「自己啓発」という言葉は本来、自分の意思や努力によって、己を取り巻く環境を変えていこうという、非常に積極的な意味であるはずです。
ともすると、今の自身の境遇を不動不変の所与のものとして受け止め、受動的な態度で過ごしてしまいがちなものですが、自分の意思で自分を変えよう、少しでも良くしていこうという前向きな態度そのものは、もっと肯定的に捉えられて然るべきではないでしょうか。
いまだに、江副浩正の「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は、最高の社是だと私は思います。
ありがちな自己啓発本の甘い言葉で一時的な現実逃避に浸ることが良いとは思いません。かと言って、目の前の環境を無気力に所与のものと受けとめる者が、積極的に自分を変えようとする人を嘲笑するような風潮に与したいとは思いませんし、そうした冷笑的な態度に比べれば、よほどマシなんじゃないかとも思います。
なんてことを、ちょうど先日、大室先生とお話ししたところでした。
【大室】サブカル産業医と考える自己啓発の功罪問題
https://voicy.jp/channel/621/81538人それぞれ「言葉のドーピング」が必要な時もあれば、不必要な時もある。
やる気が出ない人が、適したものを読んで、元気ややる気が出るのであれば安いものかな、と。
自ら何か率先してできている時なら、きっと自然とこういった物には手は出なくなるでしょう。
仕事人人生の時間は果てなく長いので、あれこれと手を変え品を変え、飽きないよう、頑張り続けられるよう、何かに頼るのはそれはそれで悪くないと思います。自己啓発を求める傾向は、皆の自己肯定感が不足しているから、ではないか…と想像します。
みな同じが求められる集団生活のなかで、他者との比較にさらされながら、べき論を受け入れ、理想にあわせて無理に自分を変えようとして、でも変えられず、そんな自分を受け入れられず、苦しんでいく…
そんなとき、答えと思えるものをくれるもの、そのままでいい、といってくれるものに飛びつきたくなるのかなと。
自己肯定感を高める社会に変わらないかぎり、こういった自己啓発が消費され続ける状況は変わらないのだろうな…と感じます。