スポーツ庁 全国規模の大会 主催者に費用支援へ
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プロはさておき、甲子園やインターハイのような学生スポーツについては何とも言えない違和感を覚えます。中止が決まった段階で、進学や就職など次の目標に気持ちを切り替えている学生も多いはず。もちろん、助成があるに越したことはないのでしょうが、周りの大人が勝手に張り切っているという印象が拭えません。その競技で食べていくことを考えている学生のためということなら、トライアウト方式の方が良いと思うのですが…。
今年の夏は「甲子園」も「高校総体」もなくなりました。
他方、今朝のニュースでは、国は、「独自の地方大会」などが行われる際に、1000万円を補助する方針を打ち出しました。
新型コロナの感染拡大を回避することは私たち社会にとって、何より大事なことです。高校野球県予選や「甲子園」そして高校総体は、まさに”苦渋の決断”として、中止を決断されたのだろうと考えます。決断した方々の心中を察します。
特に、特定警戒都道府県では、切実に”第2波”を警戒しなきゃならない。
何かに「懸ける」ことー高校野球でも部活でも勉強でもーは、かけがえのない人生の煌めきです。それは、結果だけに意味があるのでなく、何かに熱中すること、仲間とベクトルを合わせて努力すること、に本当の意味がある。それは二度とないチャンスであり、試練であり、挑戦でもあります。そして、その経験が、その後の人生で、「仕事に懸ける」「人生に懸ける」といったチャレンジの礎となっていくと考えます。
なんとか、感染拡大防止と、高校球児たちの想いの両立を図る道はないものでしょうか。
凄まじい努力や鍛錬を乗り越え、体と心を削るようにして、仲間と磨き上げてきた技と心と体を表現する場を用意することはできないでしょうか。
非公式でいいし、一部の地域に閉じた形でもいいし、1試合だけでもいいし、無観客でもいいし、そういう提案を応援したいですね。中学、高校での全国大会を行う意味とはなんでしょう?
県大会で終わりにしても良いと思いますが。
全国大会を開催するということは、例えば一人の優勝者のために、46人の敗者を作り出すことになります。それ、県大会で終わらせておけば47人のチャンピオンが社会に出て行くことになります。どちらの方がメリットがあるのか。それを考えなければ教育とはいえません。
日本一を決めるのはシニアになってからで十分ではないですか。オリンピックや世界選手権の代表になりたい人はごく一部です。そう言う人は別にやればよろしい。教育とは別のところでやればよろしい。勝負を教育に取り入れるのであればその方法論を十二分に議論した上で取り入れるべきですが、学習指導要領にはそれは全く記述されていません。と言うことは教育上日本一を決めることは必要ないということです。
一生懸命スポーツをやることを否定しているわけではありません。それはとても大事なことです。でも、全国大会を教育として行う必要性はないでしょう。全国大会が目標になくともスポーツは教育的な効果を十二分に発揮します。これは間違いありません。例えば早慶戦は日本一ではありませんよね。でも教育的な効果はあるのでは?それで十分ではないですか。