【第二の人生】キャリアは「一本の線」で繋がっている

2020/5/31

元阪神を隠して出した履歴書

優秀なビジネスパーソンのように論理的思考を高速回転させ、速射砲のごとく言葉を紡ぎながら自身の考えを簡潔に説明していく。
彼が会計士だと知れば、その特徴も納得だ。
しかし、「かつてプロ野球選手だった」と聞くと、にわかに信じ難い。これほど知的な話し方をする“元プロ”とは、なかなか出会うことがないからだ。
奥村武博、40歳。その名が有名になったのは、ユニフォームを脱いだ後だった。
1997年ドラフト6位で岐阜県立土岐商業高校から阪神に入団したが、故障もあって4年間で1度も1軍で登板できずに現役引退。
それから12年後の2013年、公認会計士の試験に合格する。元プロ野球選手として初の快挙で、多くのメディアに取り上げられた。
「引退後、できる仕事はすごく限られていました。背負っていたブランド力と、野球がなくなって裸一貫になった自分の価値の低さを突きつけられた感がありましたね。あれを早く経験できたのは、結果的に良かったと思います」
奥村武博(おくむら・たけひろ)。1979年7月17日生まれ。1997年ドラフト6位で阪神タイガースに入団。2001年に引退、打撃投手を経て、飲食業などさまざまな業界を経験。公認会計士の資格を取り活動中。
待遇や名声という意味で、プロ野球選手ほど恵まれた職業はそう多くない。
逆に言えば、引退してセカンドキャリアを歩む者にとって、“元プロ野球選手”の自分を受け入れることが「一番のハードル」になると奥村は語る。
22歳で戦力外通告を受け、阪神で打撃投手を1年間務めた後、一般社会で職探しを始めた。ホテルの調理場に応募した際、奥村は履歴書に「元阪神タイガース」と書かずに提出したという。
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「こっぱずかしいじゃないですけど、その時点で見栄があったと思うんですよね。ホテルの調理場で仕事していると思われたくない、とか。最終学歴は高卒で、その間のプロ野球人生を書かなければ“空白の5年間”ができてしまいます。
そうすると履歴書って超薄っぺらいんです。言い方は悪いかもしれないけど、『自分みたいな経歴の人間は、世の中でこういう扱われ方をするんだな』と身をもって体験しました」
一般社会で評価される能力が自分には何もないと、実感させられた。
まだ20代前半で、これからどうやって生きていこうか。初めて将来について真剣に思考し、「野球で言えば、佐々木主浩さんのフォークのようなウイニングショットを身につけないといけない」と考えた。
奥村にとって第二の人生を切り開くきっかけになったのが、商業高校時代に日商簿記検定2級に合格したことだった。
一念発起し、何年も勉強を重ねて会計士に合格する。

スポーツほど数字にまみれている

そうした自身の経験を経て、現在、後輩のプロ野球選手たちに伝えていることがある。
現役生活をより充実させ、いつか来る引退後にも備えられるよう、デュアルキャリアのススメだ。
「スポーツ選手は普段の取り組みを漠然と捉えている感じがあります。自分自身の話をすると、今は普段やっていることを因数分解して、『それによってこういうことが得られているよね』と意識していますが、現役中にそういうことはほとんどできていませんでした。
逆にそう意識できるようになれば、練習の取り組み方が変わってくる。
今の知識で現役時代や高校時代に戻れば、もっとパフォーマンスを上げられていたのではという後悔があります」
奥村は18歳でプロ入りした自身について、「プロ意識が足りなかった」と振り返る。
球団に与えられるメニューにひたすら取り組むだけで、意図を掘り下げていなかった。目的意識が低いから、自主的に練習して成長を目指すのではなく、遊びに行くことを優先したこともある。
しかし現役引退後、会計士の試験になかなか合格できずに苦しむなか、勉強や仕事と、普段の思考は一本の線でつながっていることに気づいた。
スポーツの伝統的な世界観の中で生きていると、競技に対して盲目的になりがちだ。
「指導者の言うことは絶対」とされ、「他のことには目をくれず、野球だけに専念しろ」という価値観が強いからだ。奥村もそうした一人だった。
「野球界では上意下達で思考を奪われ、盲目的に競技だけをやる。自分はそういうタイプだったし、昔の野球はそれが通常だったと思います。
それでは成長力が乏しくなるだろうし、引退後に困るケースが多いですよね。そうではなく、競技に専念する中で、普段の練習から思考することをいかに求めていくか。
思考ができれば、あとは専門知識をどう増やしていくかですよね。そういう指導になってくると、選手の成長も変わってくると思います」
奥村は会計士として活動するようになり、物事を数字で捉えるクセがついた。
MLBが示す「試合がない」ときに生むスポーツの価値
ビジネスパーソンとして当たり前の姿勢が身についた今、改めて現役時代を振り返ると、スポーツほど数字にまみれた世界は珍しいと感じている。
「スポーツではすべての活動の成果が最終的に数字に落とし込まれて、数字をもとに自分の評価や成績、相手の能力を計って行動するのは、ビジネスの世界と似ていると思います。
会計士の仕事をするようになり、そういう発想につながってきました。スポーツでも『そういう考え方があるのか。じゃあ、この選手の特徴って、去年と比較したらこう変わっているよね』と意識的に捉えられるかどうかで、自分の成長もすごく変わってくると思います」

デュアルキャリアの秘訣は「今、役に立つ」

選手は盲目的に取り組むのではなく、意識的、自覚的になれば、スポーツから学べることがたくさんある。
試合では同じ状況が2度となく、自分やチームにとって「正解」を探すことが求められる。そうした中から得られる学びは、ユニフォームを脱いだ後にも役立つはずだ。
そう考えるようになった奥村は、現役選手に「デュアルキャリアの大切さ」を説くようになった。
「ビジネスの世界では、ゴールから逆算してマイルストーンを組んでという思考プロセスが求められます。スポーツ選手にとって、普段から常にやっていることですよね。
例えばビジネス書を読んで『こういう考え方があるのか』と知り、『自分が今やっていることと同じだね』と気づく。そういう考え方をより意識して、具体的に普段の練習や試合に落とし込んでいくことにより、練習の成果を高めていくことができます。
自分自身の経験からも、現役中に引退後のことを言われても、正直ピンと来ない部分があります。
『引退後のセカンドキャリアで必要だから、こういうことをしよう』という言い方だと、『別に今やらなくてもいいよね』『野球がうまくならないなら……』という捉え方をされることもある。だから、『いかに今、役立つか』というところから入っていくのがいいと思っています」

競技能力以外を成長させる

少し発想を変えれば、物事の見え方が変わる。
見え方が変われば、行動や思考を変えるきっかけになる。
元プロ野球選手として初めて会計士の試験に合格した奥村は、自身のキャリアは一本の線でつながっていることに気づいた。
奥村にとって高校時代に合格した日商簿記2級が現役引退後のキャリアに結びついたが、勉強に限らず、誰しも仕事につながる道があるはずだ。
【再定義】社長になりたいプロ野球選手たち
「例えば昆虫や動物が好きとか、自分の経験や興味を紐解いていけば、仕事につながるものを必ず持っているはずです。それが進路の指針になってくると思います。
自分の選んだ道をどう進み、高めていくかというスポーツでのステップは、仕事とそんなに変わりません。
僕が『デュアルキャリア』という言葉を使うのは、スポーツを通じ、競技能力以外の部分を成長させるスキルが育っているからです。
そういう意味で、『デュアル』という言い方をしています。そういう考え方が根付いてくると、アスリートのセカンドキャリアの問題は自然となくなっていく気がしますね」
今や転職してキャリアアップするのは当たり前の世の中だ。
人生にファーストもセカンドもない。スポーツを通じて学んだことは、きっと他の仕事でも役立つはずだ。
奥村の言うように、現役中に養った能力を前向きに置き換えることができれば、スポーツ選手のセカンドキャリア問題は劇的に改善されるはずだ。
(執筆:中島大輔、写真:中島大輔、GettyImages、デザイン:松嶋こよみ)