検察庁法改正案への批判で見逃される『統帥権干犯問題』のリスク
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今日がどういう日か特に気にせず犬養道子さんの「お嬢さん放浪記」を読んでいたのですが、本記事を読んでああ今日は五一五事件の日だったかと。犬養毅のお孫さんであるエッセイスト道子さんの本書、冒険あり起業あり海外移住ありの焼け跡意識高い系感から次のNHK朝ドラにぴったりではと思います。曽孫の緒方貞子も出せるだろうし。以上余談
さて、書の名手でもある犬養毅は個人的にとても興味を持っている人物でして、高い理想と不器用さの齟齬に人間味を感じるのですが、その彼には珍しく統帥権干犯問題はその思想の時点で言語道断な駄判断であり、日中融和に尽くした彼がその後の日中関係を泥沼に蹴り落とす大きな要因を作ったといえ誠に歴史の皮肉を感じます。確かに「検察庁をアンタッチャブルな存在とさせる動きである」と見れば、統帥権干犯問題と検察庁法改正反対を同意に見なすことも仮説としてはあり得るかと思います。
ただ、まず第一に現今の検察における司法要素と行政要素のバランスは、もとより微妙なさじ加減にこれまで留まってきたものであり、手を入れる動き自体がどちらに触れるものであっても「司法の暴走」「行政の暴走」を懸念することのできる性質のものだと思います。つまり「検察の司法暴走」を懸念するのと同じ強さで「行政の検察支配」を懸念することもまたできると思うのです。
であれば、まず現在のバランスを崩すことにどれだけ正当性があるのかが最初に問われるべき事ではと思います。(言うまでもなく現在のバランスを崩す動きは、政府の側から出た閣議決定です。理由については捜査指揮のためとされており内容は秘匿されています)
統帥権干犯問題との比喩が適切であるかという点については、統帥権は「イチャモンつける者は不敬」という、それを振りかざせば人を黙らせられるジョーカーとして働いたもので、司法権の独立論議がそこまでジョーカーになるのかというと疑問です。(このnoteに何ら危険を感じる事がないのがその証です)
正直、検事総長OBまでが声を挙げて政府と対決している現状は意外です。取締り録音録画の骨抜き化など、現在の検察は政府から特別のお手盛りを受け、ベタベタなんだろうと想定していたためです。俺たち検察はアンタッチャブルであるべきなのに手を入れようとしやがって、という官僚制の独善がいま横行しているのなら、もっと違った風景になるのではと思います。こういう話が新聞を始めとするマスコミさんから出てこないのは、
常日頃は、捜査に関する情報のリークを
してもらっている恩があるからなんだろうなぁと
感じながら、生暖かい目でみています。
黒川さんが検事総長にならない場合、
某新聞社と昵懇な林さんが検事総長になるでしょうからね。