100年変わらない、グローバルで勝つための「現場の力」

2020/4/13
出光興産の創業社長・出光佐三。彼がその前身となる出光商会を創業したのは1911年、25歳の時。燃料油(ガソリン)のイメージが強い出光興産だが、創業事業が機械のエネルギー効率を高める潤滑油(機械油)の販売だったことは、あまり知られていない。
北九州の門司港で創業した出光興産の前身となる出光商会
潤滑油はやったことがなく、ズブの素人であるから機械を見ても何だかわからない。油を実際に使っている現場を見るために、明治紡績のエンジンルームを一週間機械の動くのをじーっと見ておった。そうすると、技手が私に同情して説明してくれる。
佐三の手記からは、右も左もわからないなかで、「現場」から学び、悪戦苦闘しながら道を切り拓いていた様子がうかがえる。
そんななか、佐三は創業の翌年には中国大陸へ渡り、南満州鉄道株式会社に潤滑油を売り込むなど、早くから海外展開へ活路を見いだす。
そして、日本石油の特約店として小さな商店からはじまった潤滑油事業は、現在、国内3カ所、海外32カ所(提携先を含む)の生産拠点を有し、海外における販売拠点は40カ所。グローバルシェア8位(IHS Markit調べ)、日系メーカーでは1位にまで成長した。
その大胆かつ緻密な手腕からベストセラー小説『海賊とよばれた男』のモデルになった出光佐三。創業から100年以上が経った今、佐三の挑戦のDNAはどのように受け継がれているのか。海外で潤滑油事業に取り組む出光興産の社員の様子を紹介する。

「現場、現物、現実」。三現主義でインドネシア市場に切り込む

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出光興産の潤滑油事業の中でも、需要の大きいインドネシアでの販売を担う「PT. Idemitsu Lube Indonesia」。
入社6年目の羽田朋矢は、ジャカルタから東へ60キロの距離にあるチカランで、マーケティングアドバイザーとして潤滑油の販売活動に取り組んでいる。
羽田は2015年4月に出光興産に入社。国内で潤滑油事業の経験を積み、インドネシアに赴任した。19年の2月末に辞令が下り、1カ月後には出国。想像よりも早い海外転勤に驚く半面、それ以上に期待に胸が膨らんだという。
羽田朋矢氏本人の写真
羽田のミッションはローカルスタッフと共に現地のメーカーへ出向き、出光の潤滑油を売り込むこと。しかし、潤滑油は機械の一部のようにとらえられているため、明らかなメリットがなければ、メーカーも頻繁に変えるものではない。
「機械で金属を削る際に使用する水溶性切削油の新商品の販売がスタートした時のこと。新規開拓のため、ある工場に営業をかけたのですが、出光の製品は要求特性を満たしていないと判断され、提案は却下されてしまいました。そして他社製品の試験導入が開始されてしまったのです」(羽田氏)
通常ならば、ここであきらめ、次のチャンスをうかがうところ。しかし、彼はここで引き下がらなかった。
後日、羽田はローカルスタッフと一緒にあらためて現場の工場を訪れた。常日頃、営業に訪れているため、現場にいること自体は珍しいことではない。
「なんとか挽回をするために、とにかく現場へ向かいました。そこで、他社製品のオイルが貯められたタンクを見せてもらうと、油に泡立ちが起きているのを発見したんです。
現場のオペレーターに詳しく聞くと、『泡が時々溢れ出すから掃除が大変なんだよ』と言うんです」(羽田氏)
活路を見いだした羽田は、競合品のサンプルを入手し、出光の研究所で比較試験を実施。
出光の製品ならば泡を抑えられるというデータを持って再提案をした結果、逆転で試験導入の機会を得ることに成功した。
現場で機械の点検をする羽田氏
出光には「現場」「現物」「現実」を見て状況を判断する「三現主義」という言葉がある。
羽田は国内の販売店に勤務していた頃にこの仕事の基本を叩き込まれたのだと話す。
「『現場に行ったのか、お前は実物を見たのか』と上長には常々言われてきました。率先して現場に入って泥臭いことをやり、お客様の信頼を勝ち取るのが、108年変わらない出光のやり方。それは海外でも変わりません」(羽田氏)
さらに、試験導入の後、羽田は何度も工場に足を運び、汚れがこびりついたタンクの清掃を手伝った。
日系メーカーの駐在員がローカルスタッフと一緒に汗を流す姿は珍しく、「こんなに泥臭い仕事をする日本人がいるのか」と、商談相手の工場のマネージャーは驚き、徐々に関係は深まっていく。
そして、羽田の徹底した現場主義は実を結び、出光の水溶性切削油は正式に採用されることになった。

急成長を遂げるアフリカ市場を開拓する「現場力」

ナイジェリアでのビジネスは、遅延やミスなど、日本では信じられないようなアクシデントが起こる。説明を求める出光興産・小林淳に、現地のビジネスパートナーは悪びれずに言った。
「ザッツ・ナイジェリアクオリティ」──。
中東・アフリカ・西アジア地域の70カ国に向けて潤滑油の販売を行う「Idemitsu Lube Middle East & Africa FZE」。2018年から小林淳は同社の社長を務めている。
需要が減退し、競合の攻勢の憂き目にあっている中東エリアに代わり、新たな人口12億人の巨大アフリカ市場を開拓する。それが小林に課せられたミッションだ。
急激な経済成長を遂げるアフリカの中でも、2050年に世界第3位の人口約4億人に達すると言われるナイジェリア。小林はこの地で、今後の需要増加を見据え、潤滑油の安定供給体制を構築しようとしていた。
出光興産の潤滑油事業は、日系の四輪・二輪メーカーの海外進出に追随し、純正油のOEM製造を担当することで販路を拡大してきた
しかし、ナイジェリアでのビジネスは簡単ではなかった。
「ナイジェリアでは、港に到着した貨物船が『混雑している』という理由で2カ月間も港湾内で滞船し、ようやく荷役できたと思ったコンテナが更に1カ月以上も通関で足止めを食らうといったことが、日常的に発生しています。
また、陸路も道路整備状況は非常に悪いため、慢性的な渋滞が発生しています。本来ならば、港から出荷し、翌日にはお客様にお届けできるはずが、到着までに4~5日要したこともありました。
さらに気候面においても苦労が絶えません。
2月にナイジェリアへ出張した際、ハルマターン(Harmattan)という砂嵐に襲われました。そのときのハルマターンは15年に1度の大規模なもので、ナイジェリアへの出張を断念し、そのままドバイに帰ってきたこともあります。
厳しい環境下のナイジェリアにおいて、製品をお客様へ安定的に供給し、出光への信頼を高めていただくためには、サプライチェーンを新たに構築しなければなりません。
しかしながら、こちら側から指示した内容が反映されない、遅々としてスケジュール通り進まないなど、日本の常識が一切通用しないことを痛感しました。
現地の方が言うには『ザッツ・ナイジェリアクオリティ』だと」(小林氏)
小林は「3歩進んで2歩下がることを繰り返している」と話すが、その中でもだんだんとわかってきたことがある。
「『Idemitsu Lube Middle East & Africa FZE』の本社があるドバイとナイジェリアとの距離は、時間にして8時間。ドバイとの時差も3時間あることから、遠隔でのコミュニケーションが多くなっていましたが、それでは彼らの本音は聞けません。
やはり現場に行って直接交渉しなければ、何もわからないし、何も進まないのです」(小林氏)
「現場」に活路を見いだした小林は、現地社員とともにナイジェリアの地に足を運んだ。現地の風習や文化を理解しているナイジェリア人ならば、交渉の妙もわかるというもの。
どうすれば交渉が進むのか、手探りの状態は今も続くが、相手の懐に飛び込み、ぶつかっていけば、必ず道は開ける。郷に入っては郷に従え、だ。
Idemitsu Lube Middle East & Africa FZEのメンバーとナイジェリアで撮影した写真。左から2番目が小林淳氏
出光興産のアフリカでの挑戦は、そのすべてがまだ道半ば。しかし、同時に小林はさらなる大きな挑戦への布石を打っている。それが出光ブランドの拡大だ。
「中東地区での出光の潤滑油事業は、1985年からスタートし、既に35年が経過しました。しかしながら、アフリカはまだ手付かずの状態。『出光』という名前を知っている人は皆無です。
アフリカで『出光』という名前を知ってもらうためにどうすればよいか、常に自問自答しています」(小林氏)
54カ国から成るアフリカをひとくくりにすることはできない。日本から見れば同じアフリカでも、各国毎に法律も違えば文化や慣習も違う。
1つの国を攻略したとしても、さらにまた別の国のハードルが立ちはだかる。同じ手法が通じないため、国毎に攻略方法を変えなければならない。
そこでもやはり鍵になるのは、出光興産の「三現主義」に基づく「現場力」だ。
小林淳氏本人の写真
「ネット時代に古臭いと思われるかもしれませんが、潤滑油の販売は現場での対面が基本。
そうした営業の現場は、知名度がない私たちにとっては、直接商材をアピールすることができるだけではなく、『出光』とはどのような企業文化を持っているのかを知ってもらう絶好の機会なのです。
国、地域ごとに法規制も異なりますし、マーケットが変われば、同じ施策が通用するとは限らないため、一気に事業規模を拡大していくようなことはできません。
一つ一つのプロジェクトに丁寧に取り組むことで、アフリカの地でも出光ブランドを広めていくことができるのではないかと考えています」(小林氏)

時代と場所を超えて受け継がれる、挑戦のDNA

出光佐三が創業の翌年に中国大陸へ進出して以降、出光興産の海外挑戦の系譜は現在まで続き、出光グループの従業員13,000人のうち、海外で働く従業員は2,700人にのぼる。
潤滑油事業においては、2016年には国内の販売実績を海外の販売実績が上回った。
未開のアフリカでビジネスをするための秘訣を小林氏に尋ねると、次のような答えが返ってきた。
アフリカでのビジネスは、まさに『挑戦』という言葉がふさわしい。しかし、場所や時代が変わっても、商売の基本は互いが人と人であるということ。つまりハートです。
それはおそらく、出光佐三が南満州鉄道株式会社に2号冬候車軸油を売り込み、採用された頃から変わっていないのではないでしょうか」(小林氏)
挑戦のDNAを受け継いだ出光興産の社員は、これからも世界中の「現場」で活躍してくれることだろう。
(構成:高橋直貴、編集:川口愛、野垣映二、デザイン:岩城ユリエ)