【田中道昭×清水和夫】CASE時代にクルマの「安全性」がブランドになる理由

2020/4/14
100年に1度と言われる自動車業界の再編を前に、国内外からさまざまなコンセプトが提示され話題を集めた「CES(Consumer Electronics Show) 2020」

そのいずれもが、2016年秋のパリでメルセデス・ベンツが発表した中長期戦略「CASE」が予言していた未来が体現されていた。しかし、そんな時代の到来においても、気候変動や自動車事故の死亡者数増加など、モビリティにおける世界規模の課題解決はまだ道半ばだ。

そこで「CASE」時代における課題の一つ「安全性」にフォーカス。「安全性」を哲学とするメルセデス・ベンツの例をあげながら、自動車ジャーナリストの清水和夫氏と、立教大学ビジネススクール教授の田中道昭氏が、モビリティの安全性について語り合った。

「CASE」は“手段”であって“目的”ではない

田中道昭(以下、田中) 2016年9月に行われたパリモーターショーで、メルセデス・ベンツは「CASE」というコンセプトを発表しましたが、私は従来の自動車産業のみならず、すべての産業において重要な潮流だと感じています。
 例えば自動運転技術は、自家用乗用車だけを見ると、まだ先の出来事のように思えるかもしれませんが、産業用商用車としての自動運転を見ると、農業や物流といった業界で既に社会実装され始めています。
 特に最近は新型コロナウイルスの影響で、自動運転の社会実装が加速している。
 実際、既に中国では限られた地域だけで運行する自動運転バスや、小型の運送用自動運転トラックを走らせているのですが、この状況でさらに運用範囲が広がっている。
 さらに今年の1月に開催された「CES(Consumer Electronics Show) 2020」では、もはやクルマだけではなく、人や住まいがつながって、最後は街同士がつながるというコネクテッドシティ構想が発表されました。
 つまり、「CASE」は我々のライフスタイルにまつわる、あらゆる産業に影響を与えるキーワードになる。
清水和夫(以下、清水) おっしゃるとおりです。私も2016年のパリにいまして、ディーター・ツェッチェ氏(ダイムラーAG 前CEO)の基調講演で「CASE」を知りました。
「CASE」はすべての産業をつなげていくのですが、一つ重要な観点としては、「CASE」は“手段”であり“目的”ではないということです。
 つながり、自動化し、シェアリングし、電動化することで何ができて、その結果私たちのライフスタイルがどう変わるかが重要であり、正直これまでメディアを見ていてもその観点があまり出てきていない。
 多くはテック系やサプライヤーサイドの話になってしまっており、具体的にそれがどういう意味をもって社会に入っていくのかを考えなければならない。
 例えば、「安全性」の問題。現在、世界では自動車の市場がさらに拡大しており、ますます交通事故、重傷死亡者数は増えています。
 今、全世界で年間130万人以上が交通事故で亡くなっているとWHO(世界保健機関)が警鐘を鳴らしています。
 このままいけば、特定の疾患よりも交通事故での死亡者の方が上位に行くだろうという予測までしている。交通事故は全自動車メーカーが取り組まなければいけない喫緊の課題なのです。
 そういう社会課題の中に「CASE」を置いたときに、メーカーやサービサーは、何をすべきなのかが重要な論点かなと思います。
田中 清水さんがおっしゃるように、手段ではなく「何のためにやるのか」という目的としてとらえることが重要です。
 日本のプロダクトやサービスは、生産性向上を目的とした企業中心主義になりがちですが、米中のテック企業はUX(ユーザー・エクスペリエンス)を最も大切にしています。
 その点、メルセデス・ベンツが提案した「CASE」、さらには「MBUX」(メルセデス・ベンツ・ユーザー・エクスペリエンス)も、人間中心主義でいかに人に快適な経験を提供できるのかというところに、こだわりを持った哲学ではないかと考えています。

「CASE」時代に「安全性」の考え方は変わるのか

田中 「CASE」の時代では、自動車がAIによって自動で運転されるわけですが、だからこそ「安全性」がより重要になってくると私は考えています。
 その理由について、マーケティング専門家の立場としてお話しさせていただきます。
 マーケティングには「類似化」と「差別化」という概念があります。実は消費者というのは、無意識あるいは意識的に、まずは類似化ポイントをチェックし、次に差別化ポイントをチェックして、両方クリアしたときに購買に至るんです。
 類似化を分かりやすく言うと、その商品やサービスにとって“当たり前”とする価値。逆に、差別化は“売り”とする価値です。
 でも、ビジネスの明暗は差別化ポイントではなく、類似化ポイントで決まってくるんですね。クルマでいえば、安全性は技術も進んできているため、類似化ポイントとなってきているといえます。
 その類似化ポイントである安全性をクリアして初めて、差別化ポイントのデザインやブランドで買われるようになる。
清水 差別化ポイントは言い換えれば「競争領域」ですよね。そして、類似化ポイントは「協調領域」といえます。
 自動車メーカーはレーダーやカメラなど、同じサプライヤーを使うことが多い。つまり、協調領域が多いんです。一緒の部品を使った方がコストは下がり、カスタマーベネフィットが生まれますので。
田中 なるほど。となると、自動運転の世界になれば安全性は協調領域ではなく、重要な競争領域となるんでしょうね。
 でも、完全自動運転に切り替わる前提条件は「人間が運転するよりも安全」という証明が必要になりますので、競争領域を抜けるのはこれからだと思います。
清水 自動運転の世界になると、恐らくすべてが類似化ポイント、つまり協調領域が広がると思います。
 これまでの差別化ポイントがなくなると、どこで競争するのかという課題が生まれます。その文脈では、ハンドルが握れない時間をどう過ごすのかという、空間や時間の過ごし方に新しさが求められてきます。
田中 空間での過ごし方には、家電メーカーに一日の長がある。だとしたら、次世代モビリティの時代において、自動車メーカーがより差別化できるのは、原点に戻って安全性ということになりますよね。
 現在、自動車メーカー以外の新興企業がモビリティ業界に参入していますが、アメリカのテクノロジー企業が自動運転車の実験中に死亡事故を起こしているという事実もあります。
 これは絶対に許されないことですし、モビリティ業界に携わる以上、すべての企業には安全に対する“哲学”のようなものがより必要になってくると思います。

なぜ、「安全性」がブランドとなるのか

清水 現在、日本で年間約3200人(事故発生から24時間以内の死亡者数)、グローバルで見れば130万人以上が、交通事故で亡くなっています。
 それでいうとメルセデス・ベンツは、安全性に対してある種の“哲学”を持っていると、私は考えています。
 実際、1990年代にメルセデス・ベンツの事故調査隊に同行して1週間ほど取材を行いましたが、安全を作るため「真実にモノサシをあてる」と、その時の担当者がよく話していました。
 というのも、いくら衝突実験を繰り返したとしても、ダミー人形は痛いと言いません。だから事故調査の現場で「真実にモノサシをあてる」ことが、メルセデス・ベンツにおける安全の哲学そのものなんです。
 これはあまり表に出てこない話なんですが、メルセデス・ベンツには「ミスター・セーフティ」と言われるベラ・バレニーという人物がいたんですね。
 彼が考案した技術に、自動車が衝突した際にエネルギー吸収をするボディ構造があります。
 それは衝突時のエネルギーを吸収して、いかにキャビンの中にいる乗員を守るかという構造です。
 例えば「戦車とメルセデスのAクラスがあって、両方ともコンクリの壁に50km/hでぶつかるとしたら、どっちに乗りますか?」って言ったら、誰もが戦車に乗ると言いますよね。
 でも、戦車だとダイレクトに体に衝撃を受けてしまうので、死に至る可能性が高い。逆にAクラスはフロントのクラッシャブルゾーンで、エネルギーを吸収してくれる。
 つまり戦車よりもAクラスのほうがはるかに安全ということです。これが衝突安全を理解する重要なポイントなのです。
 もう一つの論点は、衝突は大きさや重さが異なるクルマ同士がぶつかるという現実です。
 そこで、メルセデスはSクラスのような車体が大きなクルマと、Aクラスのような小さなクルマがぶつかっても、お互いの乗員の傷害が同じレベルになるように工夫しました。
 Eクラスも、直列6気筒という縦長のエンジンでしたが、V型にして衝撃を面で受けるようにした。衝突安全性のためにエンジンの設計まで変えてしまったんです。これらは「真実にモノサシを当てる」ことで生まれた取り組みです。
 実は他社のボディも、メルセデス・ベンツがベースになっていると言われています。つまり、一緒に事故をなくすために、競争相手となるメーカーにその方法を教えたんです。
 交通事故は死亡者をゼロにしなければいけない。つまり、安全性は競争領域でもあるのですが、協調領域としても認識しているということです。
田中 協調領域なわけですか。素晴らしいですね。
 私はブランディングの専門家でもあるので、その観点からお話しさせていただくと、今はこれだけソーシャルネットワークでつながって外から見えてしまうし、内部告発が簡単にできる。もはや「隠せない時代」です。
 もはや隠せないから、隠さない方が勝つ状況になっているんですね。そうなると本当のブランディングは何かと言うと、経営者、あるいはその社員が本当は何を信じているのかというところがブランドになるんです。
 昔だったら、誠実・安全・信用と言っても、本当に考えていることは分からなかったかもしれない。
 でも今だと綺麗事で安全と言っているのか、それとも本気で言っているのかっていうのは、完全に透けて見えるわけですよね。
 だからこそ、その会社が本当に何を信じるかが、ブランディングそのものだという前提の中で、メルセデス・ベンツは確実に安全性を哲学として持っていることが分かります。
 実際、清水さんのお話はもちろん、自分で乗っていても本当にその思いやこだわりが伝わってくる。だからその安全性へのこだわりっていうのが、メルセデス・ベンツのブランドそのものになっているんでしょうね。
 安全性こそがコアコンピタンスであり、自社の存在意義であると。
清水 メルセデス・ベンツは哲学者であり、心理学者であり、もっと言えば神学者でもあります。
 1886年、ゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツはガソリン自動車を生み出しました。
 それが見事に成功して、20世紀では利便性を享受しましたが、その一方で大気汚染や交通事故といった負の問題が増えてしまった。
 だからこの問題を解決しなかったら、ご先祖様に背を向けられないという思いから、メルセデス・ベンツというブランドは、ここまで安全にこだわるのでしょうね。
(編集:海達亮弥 執筆:熊山准 撮影:依田純子 デザイン:堤香菜)