「環境DNA」が可視化する生態系のビッグデータとは?

2020/3/10
 企業経営においてもSDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・ガバナンス)へのコミットメントが重視されている。そんななか、生態学の分野で注目されているのが「環境DNA」と呼ばれる新しいモニタリング手法だ。
 川や海から採取した水から、その水域全体の生態系を明らかにするというもので、水産資源の保護や環境改善にも大いに寄与するという。
 その可能性と現在地について、環境DNA研究の第一人者であり、4月に新設される龍谷大学先端理工学部で准教授を務める山中裕樹氏に聞いた。
「水」から読み取れる生態系のDNA
── 山中さんは、もともと魚の生態を研究されていたんですよね。「環境DNA」という着想を得たきっかけは?
山中裕樹 子どもの頃から生き物が好きでした。実家から自転車で10分の場所に琵琶湖があり、魚を捕って遊んでいましたね。三重大学の生物資源学部に進学したのも、好きな魚の研究者になり、滋賀県や琵琶湖のためになる仕事をしたかったからです。
2020年4月に開設される龍谷大学 先端理工学部の准教授。滋賀県生まれ。三重大学卒業後、京都大学理学研究科で修士および博士課程修了。2007年より総合地球環境学研究所研究員、2009年より龍谷大学理工学部実験助手、2013年より同大理工学部環境ソリューション工学科講師、兼、生物多様性科学研究センター研究員を経て現職。2018年に設立された「環境DNA学会」立ち上げ人の一人。
 その後、京都大学の大学院で本格的に琵琶湖の魚の研究を始め、大学院を出た後は、京都の総合地球環境学研究所で研究を続けていました。
 そこで同僚だった源利文さん(現・神戸大学准教授)がウィルスを扱う実験のなかで発見し、私と2人で研究を始めたのが「環境DNA」という新しい生態調査の手法です。
── 従来の方法とどう違うんですか。
 これまでの生態調査では、その水域で魚を捕って個体調査を行っていました。この方法では調査場所によって魚の捕れ方にバラつきがあるし、取れるデータの量も限られています。なにより、ものすごく労力がかかるので、一人の研究者が調べられる範囲は狭いんですよね。
 一方、環境DNAという手法では、川や湖の水から魚に由来するDNAを回収して、そこに生息する魚の種類を推定します。
 河川から採った水には、その水域に生息する魚たちが放出した、粘液や排泄物由来のDNAが含まれています。そのDNAを解析することで、どんな種がそこに棲んでいるのか、水域全体の生態系が見えてくるんです。
 もちろん従来の調査方法でしか取れない情報も多いわけですが、「どこに何の魚がいる」といった基盤の情報を調べるには、環境DNAはとてもパワフルなツールだと思えました。以来10年間、環境DNAの技術開発を続けています。
── 研究開始から10年と、生態学の中では新しい分野です。これまでどんな進展がありましたか。
 初期段階では、特定の魚、たとえばコイのDNAだけを増幅して検出する「種特異的な分析」からスタートしました。そこからコイだけでなく、ブルーギルやブラックバス、オオクチバスと検出できる種が増え、研究チームも大きくなっていきました。
 そして、2015年に千葉県立中央博物館の宮正樹さんが、魚のDNAを高効率で網羅的に増幅する検出法を確立しました。
 それまではあらかじめ調べたい種を指定し、その魚がいるかどうかを調べる技術だったものが、一つの試料から複数の種を読み取れるようになった。最新のDNAシーケンサーを使えば、その水域にどんな魚が生息しているのかがわかるようになったんです。
 今では魚だけでなく、鳥や哺乳類に特化した分析も可能になってきました。さらに分析技術と機器が発達すれば、すべての生き物の情報が読み取れるようになるでしょう。コップ一杯の水をコンピューターが自動処理し、その水域全体の生態系を明らかにすることも、そう遠くない将来、可能になるはずです。
誰のための「サステイナビリティ」か?
── 環境DNAはSDGsなど環境保全の文脈でも注目されていますが、山中さんご自身は、どんな思いで研究をされているのでしょうか?
 そうですね。環境科学や環境問題が取り扱うテーマは時代ごとに変わってきたと思うんですが、個人的な感覚では、今は「人にとっての環境」から「人間以外の生物も含めた環境」に目が向けられる段階に来ていると感じます。
 環境科学はもともと、大気汚染や公害など、人体に直接的な影響を及ぼす問題を研究するという切り口から発展してきました。たとえば大気や水質を計測する時にも、人間が吸い込んだり飲んだりした時にどれくらい問題が起こるのかを基準にしていたんです。
写真:iStock
 それから時代が進むにつれて、他の生き物に対しても新たに環境基準(健康や生活環境保全のため維持されることが望ましいとされる基準)を決める動きが出てきて、「生物多様性」という文脈が強まってきた。まだまだ世界的に合意を得ようとすると経済価値に換算しないといけないんですが、今は過渡期にあると思います。
── 企業側もそうですし、たとえば「うなぎを絶滅から救う」といった打ち出し方の方が、消費者にとってもインパクトは強いですよね。
 はい。私自身は「生物多様性」自体に価値があると考えていますが、社会全体に、コストをかけてでもその多様性を守る意識を持ってもらうにはまだまだ道のりは遠いです。
── どんなきっかけがあれば意識が変わると思いますか?
 まずは、生き物に興味を持ってもらうことが第一歩だと思います。今は、子どもだけで魚を捕りに行くのは危ないからと、なかなか許してもらえませんよね。そのため、親も含めて「どこに、どんな生き物がいるか」を知らないと思うんです。
 環境DNAの技術を使う人が増え、調査地点が広がっていくと、これまで見えなかった生物のデータが可視化されます。身近な川や湖の状態が「見える」ようになると、「近所の川に、こんな生き物が残っていたのか」「こんなに危ない外来種が入ってきているんだ」といった気づきがあるのではないでしょうか。
 そうやって興味を持てば、親子で川に出かけようとするかもしれません。実際、来年度から環境教育の一環として環境DNA技術を採用し、一般の方にも使ってもらう活動をスタートさせる予定です。
── 具体的に、どのような活動を予定していますか?
 まずは水をろ過するフィルターなどのキットを滋賀県内の協力者にお配りし、近隣で採取したサンプルを龍谷大学にある生物多様性科学研究センターに送ってもらいます。
 当センターは環境DNA分析の専門機関として国内屈指の設備を揃えており、ここで分析したデータをウェブサイトなどでご覧いただける仕組みづくりを考えています。
 分析技術や機器はかなり洗練されてきて、大量のサンプルを高速で処理できる体制は整っています。しかし、現在は人手が足りず、肝心の「水を汲む」ことがボトルネックになっている。
 もしも一般の皆さんやCSRとして環境活動を行っている企業にご協力いただき、広範囲から毎月サンプルが届くようになれば、この問題は解消されます。私たち研究者は各地の環境DNAを解析し、生態系を見えるようにして世の中に還元していく。
 これは、大学のような教育・研究機関と社会の関係を考えるうえでも、理想的なあり方だと思います。
環境のビッグデータが産業を変革する
── 先ほど、「生物多様性自体に価値がある」とおっしゃいましたが、生物の分布や生態系も含めた可視化が進むことで経済的、社会的なメリットも大きいですよね。
 はい。実際、「環境DNA」が注目されているのは、産業活用の可能性が見えてきているからだと思います。
 この先、膨大なデータが蓄積されると、これまでにない解析手法が使えるようになります。
 アメリカではすでに研究が進みつつありますが、自動解析装置や観測装置を海や川に設置すれば、リアルタイムでDNA情報が蓄積されていく。海の水を自動的に吸い上げてろ過し、DNAの配列まで決定したデータを衛星で飛ばすようなイメージです。
 そのデータを時系列で整理・分析することで、魚を捕りやすい時間や場所を予測できるようになるかもしれません。天気予報のように「どの海域で、1週間後にマグロが多く捕れる漁場が発生しそうです」といった具合に。
写真:iStock
── 面白い。天気予報の雨量計のようなデータ収集ができるんですか?
 今のところは、エリアごとにグリッドを区切って予測するまでは難しいですけどね。
 アメリカで開発されている自動解析装置は1台1億円しますし、現時点では網羅的な検出ができません。しかし、ニーズがあればこの技術は発展し、地方自治体や公共団体が購入できるくらいの価格に落ち着いていくでしょう。
 何百地点、何千地点と設置できるようになれば、それこそアメダスのようなシステムになる。それは、そう遠い将来の話ではないと思います。
── DNAから得られるデータの質や種類も増えそうです。
 まさに現在、環境DNAだけでなくRNA(リボ核酸。遺伝に関与する物質)の分析にも取り組んでいて、こちらも面白い展開が期待できます。
── DNAとRNAでは、得られる情報はどう違うんでしょう。
 DNAは生物の設計図のようなものなので、生まれたばかりでも年を取っても変わりません。DNAの情報は固定されているんです。
 一方、RNAには、年齢や感染した病気、空腹の度合いなど、後天的な情報が含まれています。これは生物学的な表現ではないんですが、わかりやすくいうと、風邪を引いた時には特定のRNAが漏れ出てくる。
 RNAを分析するのは相当難しいと言われていたんですが、その道筋が見えてきました。この分析手法が確立すれば、養殖場の水を採取してモニタリングを続けることで、感染症の発生を検出して適切な処理を施したり、魚の空腹を表すような指標を拾って餌を増やしたりといったことが可能になるのではないかと考えています。
 養殖の場合、データをもとに餌のコントロールができれば、海中に残った餌で水質が悪化することもありません。死ぬ魚も減り、効率的な運用が可能になるでしょう。水産において、かなり有効なツールになると思います。
データに踊らされない科学者を育てる
── 環境DNAの研究が関西を中心に進んでいるのは、琵琶湖の存在が大きいんでしょうか。ルーツに仏教があり、人文学に強いイメージの龍谷大学が、先端理工学部を新設した背景は?
 もちろん、調査フィールドとしての琵琶湖は大きいのですが、私としては、環境科学はとても龍谷大学らしい研究領域だと考えています。
 おっしゃる通り、龍谷大学は仏教系の大学です。古くから仏教の教えには、他者がいて自分が成り立っているという思想がありますが、それは生物多様性を含めた生態学や環境科学の発想に近いところがありますよね。
 生態学は生態系のシステムの中で、どんな生き物がどういった機能を担っているかを明らかにする学問です。環境DNAによる分析が進めば、これまで見えていなかった生物の関係性がわかり、その生態系が回りまわって人間にも重要な役割を果たしていたことが明らかになると思います。
 つまり、生きとし生けるものは互いに支え合っているということを、サイエンスの側から証明することができる。そういう意味では、龍谷大学と先端理工学部が扱うテーマはとてもフィットしているのではないでしょうか。
龍谷大学…1639年(寛永16年)、京都・西本願寺によって設立された「学寮」に始まる。1989年、仏教系の大学として初の理工学部を設立。今年4月には分野を横断した専門教育を実施する「先端理工学部」を新設する。
── これから生態学の研究者を目指す若者へ伝えたいことはありますか?
 理系の学問を取るからには、データに踊らされる人間にはなってほしくないと思います。
 そのためには、データが生成されるところから使われるところまで、トータルで理解することが大事です。その点、龍谷大学の先端理工学部では一次データを取り、それをどう分析し、いかに応用して社会に実装するのか、一連の流れを学生の間に経験することができる。それに、環境DNAの場合はデータを取る手前のツール開発から、一段階深く学ぶことができます。
 世の中の様々な事象を自分自身の目で見て、科学的・論理的に検証し、自分なりの解釈を加えて伝える能力を持った人材は、これからどんな時代が来ようとも必要とされるでしょう。教育者の観点からも、そういう科学者が生まれていくことを望んでいます。
(編集:宇野浩志 執筆:榎並紀行[やじろべえ] デザイン:岩城ユリエ)