LEXUSの根底にある「CRAFTED」の精神とは。
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昔、ドアノブを掴んだ時の高級感についての研究というのを仕事仲間がやっていましたが、世界中の高級家具の取手を掴んで脳波を測ったり、材質だけでなく、熱伝導や表面仕上げによる触覚の違いを調べたりしていました。
また、あるガラスメーカーの方の話では、高級車向けに高級感のある雨音がするフロントガラスの開発というテーマがあったそうで、クラフトマンシップもここまでくると見上げたものだなと思います。
こうした感覚は文化構築的なので、普遍的な「高級感」なる感覚は原理的に存在し得ず、料理やワインと同じようなもので、感覚的なものとストーリーと常にセットになっている様に思います。
偶然触れた手がどんなに温かい手でも、見知らぬおじさんの手だとわかったら気持ち悪いと感じるように、芸能人格付けで多くの人がストラディバリより安い楽器の方が良い音に聞こえてしまうように、案外と感覚はあてになりません。
しかし、こうしたクラフトマンシップは見上げたもので尊敬に値しますが、車というツールがここまで嗜好性の高いものになってしまうと、日本刀が殺人兵器・護身具から装飾品に変わって行ったように、自動車も一応動くというだけのアクセサリーになっていってしまうような気がします。
ま、こうした微細な違いにお金持ちが桁違いの金額を払ってくれるお陰で、庶民が自由で安価な移動手段を確保できる、というものなのかも知れませんが。ドアの開閉フェチな私です。
最近素晴らしいと思ったのは、マツダ3のドアでした。
ドアキャッチ、ウェザーストリップへの当たり。
相当詰めたな、と言う印象です。「運転する」という行動の中にはいろいろな五感との触れ合いがある。
観る、触る、聴く、嗅ぐ。車に乗る前から感覚が研ぎ澄まされ、光の反射、ドアを開けた瞬間、乗り込む瞬間、ドアを閉めた瞬間、スターターを押した瞬間。素晴らしい車には、あらゆる瞬間に官能を感じるはずだ。
車は完全に趣味趣向の世界。そのような体験に感動しない人にとっては、ただの道具。
大メーカーのサブブランドには、LEXUSやDSのように「体験(CX)」に執着しているものが増えてきた。楽しくなる。
価値は人それぞれ。どうターゲティングするのか。これからの戦略も楽しみですね。