【豊田剛一郎】リスクを恐れず、自分の名前で勝負する

2020/4/2

マッキンゼーで募る焦り

マッキンゼーに入社してからの日々は、あっという間に過ぎていきました。仕事はとてもおもしろかったし、自分が日々成長している実感もありました。
一方で、日本の医療にインパクトを与えられるようなプロジェクトに携わる機会はなかなかなく、焦りを感じるようになっていきました。
マッキンゼーにコンサルフィーを払うには、それなりに大きな企業である必要があり、製薬会社だったり医療機器メーカーといった、企業が中心でした。
海外では大きな病院チェーンや行政がクライアントになるようなプロジェクトがあるようでしたが、日本には比較的規模の小さい病院が多く、行政にコンサルが関わる習慣もありませんでした。
有志で勉強会を開いたり、ヘルスケアセクターを立ち上げたりといった動きはあったものの、自分が医療に感じていた課題の解決につながるようなプロジェクトに関わることは、マッキンゼーでは難しいこともわかってきたんですね。
それでも、入社から1年ちょっと経ったころに昇進が決まり、ヨーロッパでMBAのような研修プログラムも準備されていたので、もう少しマッキンゼーで働こうかと、迷っていました。
そんなタイミングで、メドレーの創業社長・瀧口浩平から「メドレーに来てほしい」という申し出を受けました。2014年の秋のことです。
メドレー創業社長の瀧口浩平氏(右)と

メドレー創業者とFacebookで再会

瀧口とは、中学受験のために通った小学校時代の塾が一緒でした。といっても、特別に親しかったわけではありません。
2人とも同じ中学校に合格したものの、瀧口は1年生の途中で地元の公立中学に移り、高校在学中に起業して、大学には進むことなくビジネスの道を歩んでいました。
ほとんど接点がないまま過ごしていた2人でしたが、私が日本の医療に疑問を感じ始めた2011年にFacebook上で再会。互いの近況を知ることになります。
瀧口が高校在学中に起業したことは噂に聞いていましたが、その会社はすでに譲渡し、2009年に医療とヘルスケアを事業テーマとするメドレーを立ち上げていました。