【尾崎容子】亡くなった後も耳は聞こえている
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注目のコメント
取材を担当しました岩辺です。3回目も読んでいただきありがとうございます。
尾崎先生のお話を聞いていると、死の話をしているのに笑ってしまうのです。死は緊張して話すものでも怖がるものでもなく、身近にそして日常にあるものだと改めて感じました。
お母様の看取りのお話も、死の瀬戸際なのになんだか漫才みたいですよね。でもそれがその人「らしさ」なのかもしれません。
真っ直ぐであたたかい尾崎先生の言葉を読んでいただけると嬉しいです。連載「シゴテツ -仕事の哲人-」、訪問診療医・尾崎容子氏の第3回。別れのプロセスのお話です。これを知っていれば、最期の瞬間にこだわることなく、お別れがきちんとできると思いました。
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高齢化社会日本。2025年には年間150万人以上が死亡し、ピークとなる2040年には168万人が死亡すると予測される。介護や看取りはもう他人事ではない。そして、自分自身もいつかは迎える「死」。
もう積極的治療は難しく余命を考えるようになった時、あなたはどこで最期の時間を過ごしたいだろうか。
訪問診療医の尾崎容子氏は、人生の終末期を自宅や施設で過ごす人を支え、多くの人を看取ってきた。最期までその人らしく過ごせるように寄り添い、支える家族や周囲の人に「看取り勉強会」を開く。
「知らないことで不安になる。身体の弱りや死について、きちんと知識を持つことで不安は減ります」と語る尾崎氏の看取りのあり方とは。(全7回)良記事ですね。
父が亡くなってから1年以上経ちましたが、今でも父が亡くなる前日と前々日に、(偶然ですが)終日ほぼ一緒に過ごせたことを思い出しました。
末期癌では足がむくむので、クリームをつけてマッサージをしてあげると気持ち良いと喜んでいました。
お味噌汁を飲んで(これが父にとって最後の食事でした)、少し気持ち悪くなったようだったので、背中をさすってあげて、手を握りしていてあげていて、本当に良かったです(父はその段階でも少し恥ずかしがっていたのが懐かしいです)。
人はそうやって死を迎えるんだな~と、悲しいけれども納得できたことが、父が遺してくれた私への最後のプレゼントだったと思っています。
耳は聞こえるんですよね。
これは、最近、緩和ケアに関与される方は皆さん仰います。
肉親の最後に立ち会うのは辛いけれども、最後は、思いっきり「愛している!」「ありがとう!」と言ってあげることで、残された人の心の辛さも癒されると思います。