必要なのは、生産性を上げるための「集中時間」ではない。集中への大いなる誤解とは
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注目のコメント
私のNoteですが、いま、一番大事にしている話です。
効率や生産性ではなく、問いを考え独創する時間をどう取るか、が今後のあらゆる人々に必要不可欠になっていくと考えています。
お時間あるときにお読みいただけたら幸いです!確かに一昔前は、就職氷河期を背景にした採用減による世代間コミュニケーション断絶の時代から、コミュニケーション重視の時代に振り子が振れましたね。そして、コミュニケーションツールにイノベーションが起きて、現在はコミュニケーション過多の時代になっていることを実感します。
日常のコミュニケーションは別の議論でしょうが、ビジネスの場における最適なコミュニケーションとは何か?そもそもコミュニケーションの目的は何か?
本来は、双方が感じた異なる直観(それぞれの主観と主観)を、真剣勝負で何度も徹底的にぶつけ合えるような濃密なダイアログ(対話)であるべきなのかもしれません。そのためにも一人で模索する時間が対話の前後に必要なのかもしれませんね。
なかなか日本人同士だと忖度や遠慮でうまくいかないという問題もありますが…ここでいう「集中できる時間」とは「意識的に集中できる時間」と捉えられそう。つまり、能動的に何かに取り組もうとする時間は一日にせいぜい4時間程度、というのは感覚的にわかる気がする。
考えるべきは、その4時間にあたる行為が自分にとってなんなのか、それ以外の時間でもこなせる、あるいは意識薄めでできるインプットやアウトプットはなにかを見極めること、なのだろうか。引き続き考える。