【証言】OYO幹部が明かす、「激動の1年間」の舞台裏
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昨年末から、噂レベルのものも含めて色々な報道が出ていますが、実際のところを確かめに、OYOの幹部にインタビューしました。
どれだけネガティブな情報が出ようと、OYOがどんな仮説を持ち、昨年をどう位置付けていたかを理解しなければ、批評のしようがありません。OYO LIFEの責任者である山本さんが、激動の1年の舞台裏を丁寧に答えてくれました。
インタビューのハイライトは、昨年秋の方針転換です。WeWorkショックの余波を受けて収益化に舵を切らざるを得なかったわけですが、それによって命拾いしたとも言えます。「第二のWeWork」と言われたが故に、それを避けられたのかもしれません。
ただし、当初思い描いていた将来図が変わってきたわけで、収益化させた後にどうスケールするのか、まだ興味は尽きません。OYO LIFE単体の話はちょっと横に置いても、日本国内でもお気楽に住むところを数ヶ月単位で変えていくスタイルは強く賛成だし、テクノロジーのフォローもあって環境が整備されてくると思います。
寒い冬から花粉症がでてくる春先まで沖縄にいて、初夏頃から東京など大都市にいて、真夏は北海道にいて、また秋から東京など大都市にいて、冬は避寒地である沖縄に。
初めて花粉症にかかった中高生くらいの頃、自転車をコギコギしながらそんな妄想をしていました。
それを提供してくれるサービスの系譜にあるのが、レオパレスに代表されるマンスリーマンションであり、スマホ前提にしたOYO LIFEは第二世代にまで進化させてくれないかと期待していました。居住としての不動産の柔軟化需要は間違いなくあるはずです。仮にOYOがこけてもどこかが新たな住まいシェアのカタチを提案して第二世代として進化を遂げて欲しいな、というのがイチ賃貸居住者の意見です。