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重要なのは、モノでもコトでもなく、ヒト。
当たり前のようでいて、忘れがちなことなのでしょう。
ニュースになるような事件でも、関心を集めるのは、その裏側にあるヒトの物語です。
「なぜアプリに課金して、映画を見て、食事をして、タクシーに乗るのかというと、彼ら、彼女たちの意識としては消費の大半は交際費だと認識しているのです」
当社も何年も前から会社としての飲み会はやっていません。会社はビジネスを実践する場ですが、そのビジネスを支える社内のヒトとの関係性については、チームとしての人間関係を深めるために「全体集会」は価値がないと後の世代は思っているようです。

価値観や情報を共有、あるいは違いについて摺り合わせする作業は商売柄避けて通れません。私もおっつけ外の人との会合が増えることになります。

人それぞれコミュニケーションの手法が違うのは構いません。ご自分に合ったやり方でネットワークが充実していくのであれば、良いと思います。一番怖いのは実態のないコミュニケーションで満足することです。
モノもコトもコモディティ化が激しい世の中で、自分の消費行動を差別化する最後の砦は「誰と」何をするのかなので、消費行動における力点がよりヒトにシフトしてくることは理解できます。

それは、ますます「個」の時代であると言えますが、それは「個」が生きる時代であると同時に、「個」として生きることを強要される時代でもあり、誰もがその他大勢では許されず、その「個」に責任を強く負わされる時代です。

そのアンビバレンスを体現している存在の一つが欅坂46だったわけですが、時代のフロントラインは常に変化しています。いや、「存在」などというものは存在せず、ただ「変化」のみがそこにあるのかも知れません。

「モノからコト」はいかにもマーケティング目線で、それが「ヒト消費」となると、供給者側からみると「ヒトを消費させる時代」ということでもあり、変化を示すにはわかりやすい一方で、あまり良いワーディングとは思えませんね・・・。結局、「ヒトのコト化、モノ化」ということを意味しているに過ぎなくなってしまいます。

むしろ、ヒトとの時間もある意味コトであり、それをもう少し強調するならば、「モノからデキゴト」といえるでしょうか。

「世界は石ではなく、キスのネットワークでできている」
 by カルロ・ロヴェッリ(「時間は存在しない」より)
わかりますよ。

だって、そもそも、人間の興味の対象は極論すると「ヒト」だと思うんです。

APU学長の出口さんがおっしゃられている教養を身に付けてくれるのは「本・人・旅」。本を読むのも普遍的な人間の営みの原理原則を知りたいからであり、旅も人との出会いを求めて行くものでしょう。
私の理解力不足なのか、「ヒト消費」の内容が今ひとつ掴めませんでした。

友人同士で飲みに行くかと問われれば、昨今の居酒屋は経営が苦しくなっています。
一緒にお茶したり、ディズニーランドに行ったりしているのでしょうか?

コト消費の金額が減少しているのは、現代の「もの余り」が影響しているのでしょう。
家電製品も耐久性が良くなっているし、買うよりも手放す方が手間がかかる時代になってしまいました。

iPhoneなどは新型が出ると売れていますが、不足しているモノが少なくなったのでしょう。
また、モノの値段も格段に安くなっているので、コト消費に充てるお金は少なくなります。

「自分を磨くための出会いを求めている」というのであれば、とてもいいことだと思いますが・・・。
「客はヒトについてくる」とのこと。
会社もこの人について行きたいと思う人がどれだけいるがが重要。残念ながら、人望のない経営者には退場していただくしかありません。
若者たちの消費とは「交際費」であるという説ですが、この場合「お一人様」の消費は含まれなくなってしまいます。例え独りでも誰と一緒であったとしても、楽しい時間を過ごそうとしてモノやコトなどを消費するのならば「トキ(時間)消費」が全ての消費の基本ではないでしょうか。

「じゃあなぜアプリに課金して、映画を見て、食事をして、タクシーに乗るのかというと、彼ら、彼女たちの意識としては消費の大半は交際費だと認識しているのです。・・・そこにいる人と一緒にいることができるから、その体験が共通の話題や記憶になるから「コト消費」をする。いいかえるとやっていることは「コト消費」に見えても消費のきっかけはむしろ「ヒト消費」なのです。(記事から引用)」
日本の若者たちが「コト消費」から「ヒト消費」に変わってきているのは良い側面も色々あると思いますが、モノに関する関心や欲求が低くなっているのは事実です。モノのクォリティーより、誰かから勧められたモノを買う傾向も強いので、若者たちを中心とするビジネスにはアプローチの仕方を若者向けに変える必要もあると思います。
僕がサラリーマンだった時に、会社の人と飲み会はもちろん食事にすら行ったことがなかったです。

部下を食事に誘うとかもなかった。

忘年会スルーどころか、全てのイベントスルーでした。

よくよく考えたら、高校の時の文化祭とか体育祭とかも友達の家に行ってゲームしてました。

「みんなで一体感出していくぜ!」みたいなイベントがそもそも苦手だったというか、なんでそんなことしないといけないの?

というか、サボれるものは全てサボるという感じでしたね。


とはいえ、その後、社員さん達や卒塾生たちに求められる形で、忘年会を始めたり、社員旅行を始めたりしました。

それで挙げ句の果てに「残業代よこせ」なんて言われたら、「はぁ?」となりそうです。

いや、そもそも俺は業務外の飲み会なんかしたくないんだ!と。

こういう人でも意外と組織をちゃんと作ってきたので、やっぱり根本的に「上司が部下との関係を築きために」みたいな目的の忘年会とかは必要ないのかもしれません。

仲が良い人たちが忘年会という名前にかこつけて開く飲み会で充分っす。
同じ職場で働く人々のコミュニティの機会であるので、
個人として、どのように認識するかだと思う…。

普段では、中々、会話出来ないことを共有し、
自身が知らない他者の異なる側面を深く知る機会として
位置付けると有意義な機会となるのではないかと思う。

自身が苦手だった人も、異なる側面の姿を知ると、
印象が大きく変わると思う。
その逆もあるので、お酒の飲み過ぎは気をつけたいが…。

案外思い違いだったり、他人の噂などで勝手に
バイアスがある見方をしていた自分に気づくと思う。

機会損失を埋める機会として向き合ってみるのも、
アリかと思う…。

因みに、中国では、アピールの場として位置付けられている
場合が多く、誰かとだけ親しく飲んでいると不公平だと
中傷される…。単なる飲み会ではないことの方が多い。
アピールの場という認識だから、各組織が集う機会では、
"催し物"は半端ない。準備も半端ない…。
紅白歌合戦並みで、その昔、度肝を抜かれました…。